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11-3

 

 

 

「何だ?」運転手が誰ともなしに言った。

助手席にいた同僚も行く手を阻む車を見つけ、身を乗り出して状況を掴もうとする。運転手は速度を落とし、その車に近づく。二人と違って後部座席でうな垂れていた西野はまだ自分の世界に留まっている。

車のヘッドライトが道を塞ぐ乗用車の姿を照らし、この時になってようやく刑事たちはボンネットに腰かけている中年男性の存在に気付いた。男は腕を組んでいたが、運転手とその同僚を確認すると彼らの方へ向かって歩き出す。

「ちょっと行ってくる」助手席の刑事がそう言い残して車から降りる。男に近づきながら、「どうされましたか?」と尋ねた。

「日本交通保安協会の広瀬です。西野史晃氏を迎いに来ました」ネズミ取りの捜査官は刑事の警戒心を高めないよう、ある程度近づくと立ち止まった。

「西野氏はこれから署で取り調べを受けることになっています。すみませんが、保釈手続きは署でお願いできますか?」

「手続きがスムーズに進んでいないようですね…」地面を見つめながら広瀬は右手で無精髭の生えた顎を擦る。

「手続き?」刑事がオウム返しに尋ねる。その時、上着の内ポケットに入っていた携帯電話が震え、刑事はディスプレイを確認する。「ちょっとすみません。」

広瀬に背を向けて刑事が着信に応じると上司が電話に出た。「今どこにいる?」

「奥沢口の付近です。」

「とういうことは、まだ西野史晃の移送中だな?」

「はい。一体―」

「日本交通保安協会の広瀬という人に会ったら、西野を引き渡すんだ。」

刑事は自分の耳を疑った。“引き渡す?”彼は背後にいる広瀬に一瞥を送る。

「何かの間違いじゃないんですか?あの男は―」

「言った通りにしろ!」

電話は一方的に切られた。振り返って中年男性を見ると、刑事は携帯電話を上着の内ポケットに入れる。

「これから西野氏の手錠を外すのでお待ちください。」違和感を持ちながらも刑事は同僚と西野が乗る車へ引き返し、広瀬は負傷した片足を引き摺りながらその後を追う。

「何があった?」助手席側の窓を下げて運転手が同僚に尋ねる。

「後ろの客人を解放しろと坂崎係長から電話があった。それ以上は知らん。」そう言いながら、同僚の刑事は後部座席のドアを開けて西野の手錠を外す。

「おい!」広瀬が西野に声をかけ、聞き覚えのある声を聞いた西野が顔を上げる。「大事な話しがある。付いて来い。」

 

 

 

いくらSPの保護下にあっても、事務所襲撃の知らせを受けた小田完治の妻と息子は怯えて眠ることなどできなかった。議員秘書やスタッフが眠るように言っても、二人は耳を貸さずにテレビで放送されている議員事務所襲撃に関する速報を見続けた。時刻は午前4時を少し回っており、外は次第に黎明の色に染まりつつあった。

二人が泊まるスイートルームのドアが開いてSPに先導された小田菜月が部屋に入って来た。母親と目が合うなり、菜月の目に涙が溢れて手前にいたSPを押しのけて母親に抱きつく。彼女の母も涙を流しながら、娘を抱き寄せて「よかった。よかった」と何度も繰り返し言い続けた。妹の生還に兄・遼も喜んでいたが、恥ずかしさからすぐ頭をテレビへ戻した。

「議員もこちらに向かっています」SPの一人が議員夫人に告げた。「あと10分程で到着する模様です。」

「そうですか…ありがとうございます」警護担当者に頭を下げて議員夫人はお礼を言う。

「それでは失礼しま―」

「ちょっと」SPがその場を立ち去ろうとすると夫人が彼を呼び止めた。「今日の朝食会はどうなるのかしら?」

「おそらく延期になると思われます。」

「どうして?!」夫人が突然黄色い声を上げ、その場にいた人々は驚いて彼女を見た。

「これまでの経緯を踏まえた上で朝食会の延期を考えています。議員もこれには納得-」

「できるわけないでしょ!朝食会がどれだけ重要か分かってるの?」

「いえ…」SPはこれ以上言っても無駄だと思った。

「娘も無事に帰ってきて、主人も無事なんでしょ。犯人を捕まえたらしいでしょ?問題ないんじゃない?」

「延期の有無はこれから議員と警備主任が話し合うと思われますので―」

「警備主任はどこにいるの?」と夫人。

「議員と同行中です。」

「話しにならないわね。」

「申し訳ありません」できるだけ早くこの会話から逃げるためにSPは頭を下げた。このようなことは日常茶飯事で何も珍しいことではないが、理不尽なことを言われれば腹も立つ。

「もういいわ。」

やっと解放されたSPは夫人に背を向け、ドア口に立っていた同僚と目が合うと口をヘの字に曲げて見せた。同僚は微かに口元を緩めるも、夫人に見つかる前に真顔に戻る。二人は警備主任の早い到着を期待しながら定位置に着き、もしもの場合に備えて警戒態勢に入った。

 

 

 

 右脚に走った激痛で男は大きく目を見開いて歯を食いしばった。中島は特に気にもせず、男の傷口を押していた親指の力を抜く。男は宮崎がされたようにガムテープで手足を縛られて椅子に座らされている。

 「誰に雇われたの?」中島が切り出す。

 「俺の仲間はどうした?」周囲を見回しながら男が問う。仲間の姿はない。

 「トランクにいるよ。君たちが予めブルーシートをきっちり敷いていたから、色々と手間が省けた。ありがと。」

 中島の言葉は下手な脅し文句よりも効果があった。一瞬にして男の顔から血の気が引き、これから起こるであろうことを悟った。

 「さて、誰に雇われたの?」SAT隊員は上着を脱ぎ、それを男の横にあった椅子に放り投げる。「あまり時間を割くことはできないんだけどね…」

 たとえ知っていることがあっても目が異様に大きい男は俯いて口を開こうとはしなかった。

“話せば消される。”

彼は経験上それを知っている。全てを吐き出せば彼は用無しになり、頭に銃弾を撃ち込まれて山奥に仲間と共に埋められるだろう。

カチッという音が建物内に響いた。男は銃の撃鉄が下ろされた音だと直感的に感じ取り、腕か脚が撃たれるだろうと予想した。一方、同じ音を背後から聞いた中島は冷静に両手を肩の高さまで上げる。

「ゆっくり、親指と人差し指でベルトの銃を取って捨てろ。」

背後から聞こえてくる男の声に従って中島は、慎重に右手を背後に回してベルトに挟めてあった拳銃を二本指で取ると地面に落とす。

撃たれると思っていた男は状況の変化に喜んだ。今まで自分を虐げていた男が何者かに殺されようとしているのだ。しかし、それもつかの間、SAT隊員の陰に隠れていた人物は右に数歩移動して椅子に縛り付けられている男を確認すると、何の躊躇もなしに引き金を3度絞った。2発が胸に最後の1発が頭に命中した。銃声は消音機によって押し消されており、唾を吐くような音と遊底の動く音しかなかった。

「アイツの相棒はどこだ?」襲撃者が中島に尋ねる。

「車のトランクにいるよ。」質問に答えながら、中島は背後にいる人物の声に妙な親しみがあることに気付いた。

「死んでるのか?」再び襲撃者が問いかけてきた。

「残念ながらね…」

「凶器は?」

「さっきアンタに言われて地面に捨てたよ。」

中島はこの会話からできるだけ襲撃者との距離を測ろうとした。距離は約1メートルだと見積もった。接近戦に持ち込むには少し分が悪い。

「少し歩こうか…」SAT隊員の背後にいる男が言う。

「どこへ?」

「もう一つの死体を見に行くのさ。」

しかし、中島は動こうとしなかった。案の定、襲撃者は数歩進むと消音機付きの拳銃でSAT隊員の背中を小突いた。

好機を逃すまいと、中島は右つま先を軸に素早く180度右へ回転し、後方にいた襲撃者と顔を合わせる。この際に右腕で背中に突きつけられていた拳銃を押しのけ、銃口を逸らすとSAT隊員は左手を伸ばして襲撃者の銃を持つ右手首を掴んだ。武器を制圧するなり、中島は右掌底を襲撃者の顔面に叩きつけた。この時になって彼は襲撃者の正体を知った。

後藤田!!?

襲撃者は中島も良く知る元SAT隊員であった。

中島の掌底は後藤田の鼻に命中して元同僚の動きを止めた。すかさず、ぶかぶかの服を着たSAT隊員は包み込むように右手で襲撃者の武器を持った拳を掴み、反時計周りにねじり上げながら後藤田の顔目がけて押し上げる。同じ訓練を受けた者同士、相手の動きを読んだ元SAT隊員は銃が迫ると左手で自分の右手を押し付けてそれを中島の顔面に叩きつけようとする。この攻撃は中島の右頬をかすめただけであったが、それでも隙を作る好機を生んだ。

SAT隊員は左膝蹴りを中島の右横腹に入れた。後藤田は感触的にクリーンヒットだと思い、もう一度蹴りを入れようと動く。しかし、その前に中島が右掌底を後藤田の右手の甲に叩き込み、激痛のあまり元SAT隊員は銃から手を離してしまった。銃が地面に辿り着く前に中島は右肘を後藤田の右側頭部に打ち付け、間を置かずに左拳を繰り出す。

反射的に後藤田は身を屈めて中島の攻撃を回避すると、立ち上がりながら素早く左右のコンビネーションを元同僚の顔面に叩き込む。そして、二度目の右ストライクが来るタイミングを合わせて中島は間合いを詰めて後藤田の右腕に左腕を巻き付け、掌底を元SAT隊員の折れた鼻に再び入れた。激痛に元SAT隊員の動きが止まり、間を開けずに中島は右手を後藤田の首の後ろへフックの様にかけ、敵の体を自分の方へ引き込みながら膝蹴りを打ち込む。しかし、後藤田は腹部を右腕で防御して蹴りの衝撃を和らげた。

これを受けて中島は出方を変えた。彼は首の後ろに置いていた右手を素早く後藤田の顎へ移してアッパーのように突き上げる。地面に叩きつけられると思っていた後藤田にとって、この動きは意外であった。それでも元同僚の動きは予想できる。

左足を引いて体を約90度左へ回し、この勢いを使って中島は後藤田の腕と顔を固定した状態で地面に叩きつけた。すると、後藤田は勢い良く地面を蹴って中島の頭部に右蹴りを喰らわせた。次に後藤田は掴まれた腕を軸に体を動かし、蹴りをSAT隊員の腹部に二度叩き込んで中島を突き飛ばす。

腹部の痛みと体勢を立て直すことに夢中になってしまった中島は、後藤田から一度目を離してしまった。そして、再び敵へ視線を戻した時、彼は仰向けに寝そべりながら消音機付きの拳銃を構える後藤田を見た。

「悪く思うなよ。」後藤田が言う。

「来るのが遅いぞ…」

突拍子もなく中島がそう言ったので、後藤田はSAT隊員の気が狂ったのか思った。その時、バチバチと弾けるような音が聞こえ、後藤田の体に衝撃が走ると全身が痙攣して構えていた銃を落した。

“ティーザー!!?”

後藤田は電流による激痛に耐えようとするも、あまりの痛さに気を失った。

「久々に中島さんの“踊り”が見たかったんですよ~」紺のスーツを来た男が中島に近づく。

「嫌味な奴だよ、お前は。」SAT隊員が言う。

「そうですかね?」

「まぁ、お陰で助かった。ありがと。」

「中島さんから言われるとなんか歯痒いですね~」銀縁眼鏡をかけた藤木孝太が白い歯を見せて笑った。「それより本題に入りたいんですけど、いいですか?」

 

 

 

 男は布の上に置いた本を考え深く見つめている。題名は『岐路に立つ』で著者は菊池信弘であった。

 隣の部屋で仲間たちが装備を整える中、この男は今日のために準備してきたことを振り返り、そして、数時間後に決行することへの決意を固める。

 “遂にこの時が来たか…”

 本を布で包もうとした時、胸ポケットに入れていた携帯電話が震えた。電話の主が佐藤だと思い込んでいたが、電話を掛けてきたのは彼と共にこの計画を立案した仲間からであった。

 「大丈夫なのか?」隣にいる仲間たちに聞かれないよう部屋の扉を閉めて男が尋ねる。

 「抜かりはないよ。それより準備の方は?」

 「あと2時間程度だ。そんなことより、本間の動きが読めなくて困っている。」男はノートパソコンを開き、佐藤が本間の車両に取り付けたGPSの信号を探ろうとする。

 「彼女抜きでやろう。時間がない。それに堀内を現場に送る。」

 「奴一人で何ができる?」

 「現場の撹乱にはなるだろ?」電話の男がいたずらっぽく言った。「でも、忘れるなよ。これは先生のためだ。」

 「分かってる…」男はパソコンの画面から布の上に置かれている本を見る。

 「また後で連絡する。気を付けるんだよ。」

 「お前もな…」

 

 

 

「疑ってすまなかった」車を降りる前に広瀬が言った。

ネズミ取りが所有する駐車場の一つに来る数十分前、西野を内通者だと思っていた広瀬は同僚に銃を突き付けて尋問を行った。しかし、彼は西野が抵抗することを予期していたが、西野は何も言わずにただ「撃てよ」としか言わなかった。これは新村が自分のせいで死んだと思い、ここで殺されるなら本望だと考えたからであった。

西野は運転席にいる同僚を見ると、静かに「済んだことだ」と言って車を降りた。彼は殺されたと思っていた新村が生きていると聞き、胸に重く圧し掛かっていた罪悪感が消えて気が少し楽になっていた。

 「新村のためとは言え、俺が議員襲撃に加担したのは事実だ。」広瀬と並んで歩き始めると、再び西野が口を開いた。「そうなれば、お前だって俺が『モグラ』だと思うだろう…」

 「そうなるとだ…誰が俺たちの情報を流してる?」

 尾行の確認を終えた二人は、黒田たちの待つ支部がある建物に入る。

 「ネットワークに侵入されている可能性もある。俺たちの中に裏切り者がいるとは限らない。」エレベーターに乗り込むなり西野が言った。

 「そこのところは十分承知してるさ。事実、小野田に探ってもらってる。」

 「今は結果待ちってことだな。」

 「そうだ。」

 エレベーターが止まって扉が開くなり、鳴り声が二人の耳に飛び込んできた。

 「動くんじゃねぇ!」

 その次に西野と広瀬が目にしたのは警備員を盾にして移動する堀内であった。堀内は盾にしている警備員の顎下に銃口を押し付け、用心しながら非常用のエレベーターに向かって進んでいる。

その場にいた5人の警備員たちは仲間を救おうと銃を構えるも、テロリストが捕まえた警備員の陰に隠れていて狙うことができない。異変に気付いた黒田も銃を取ってオフィスから出ていた。巨大なスクリーンの前で働く分析官たちは、ただただ状況を見ているだけであった。

西野と広瀬は反射的に腰へ手を伸ばし、武器を取り出そうとする。広瀬は素早く拳銃を取り出し、堀内がいる方向へ銃を突き出すように構えた。一方、武器を押収されていた西野は空を掴んだだけであった。

“クソッ!!”

途中、堀内はエレベーターの前にいる西野を見つけたが、すぐに自身が置かれている状況に意識を集中させる。今すべきことは「脱出」である。

前方にいる黒田、広瀬と警備員たちの動きに注意しながら、堀内は4m後方にある非常用のエレベーターへ慎重に進む。神経を研ぎ澄ましていたテロリストは後方から聞こえてきた小さな物音を聞くと、咄嗟に銃を後ろに向けて物音がした方へ2度発砲した。

彼の勘は正しく、非常用エレベーター付近に隠れていた警備員の一人が胸部に銃弾を受けて倒れた。何かを撃った感触を得ると堀内は再び盾にしている警備員の顎の下に銃口を押し付け、後方にも視線を送りながら目的のエレベーターへ急ぐ。

一方、被弾した警備員の後ろにいた仲間はかすれ声で助けを求める同僚の姿を見て恐怖し、その場で腰を抜かしてしまった。被弾した警備員のシャツは血で染まり、助けを求める声は次第に小さくなって行く。

「銃を捨てて投降しろ!」黒田が叫ぶ。

「大人しく従うバカがいるか?」堀内が問いかける。

そうしている内に堀内はエレベーターの前に辿り着き、上昇ボタンを押した。

「逃げ切れると思うか?」黒田が先導して堀内との距離を詰める。

テロリストは支局長の言葉を聞くなり鼻で笑う。彼の背後でエレベーターの扉が開き、スタンガンを持った警備員が一人飛び出してきた。

“上手く行ったな…”黒田は堀内を嵌めることができたと思った。しかし、テロリストはまるでその攻撃を予想していたのかの様に身を屈める。スタンガンは堀内が盾にしていた警備員の背中に当たって電流を流し、被害に遭った警備員は呻き声を上げる。予想外のことに戸惑ったスタンガンを持つ警備員を他所に、テロリストはエレベーターに乗り込んで自分を襲おうとしていた警備員の後頭部に向けて発砲する。エレベーターホールに血飛沫が飛び、警備員の頭が吹き飛ばれるところを目撃した女性分析官の一人が悲鳴を上げた。

一瞬の出来事に黒田たちの反応は鈍く、エレベーター内の堀内に向けて発砲し始めた時、扉が閉まり切る直前であった。

右耳に差し込んでいた小型通信機の位置を調節しながら、堀内はエレベーターの隅にあった監視カメラを見る。「出口までの案内も頼めるのかな?」

「もちろん。」通信機から合成音声で返事が返ってきた。

 「ありがとさん…」そう言って、堀内はエレベーターの監視カメラに向けて銃を向けて引き金を引いた。 


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