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11-2

 

 

 赤い屋根の建物で証拠品を集めている現場捜査官からテロリストの携帯電話とノートパソコンのデータ、デジタルカメラで撮影したテロリストの顔や証拠品を含む電子データが水谷のパソコンに送られてきた。武田衛の隠れ家から押収された証拠品の分析用に班を編成したばかりで、また新しく分析班を作らないといけないと思うと水谷は苛立った。

ネズミ取りの分析官としては1年の経歴しかない水谷であるが、11年に及ぶ内閣情報調査室での働きがネズミ取りの目に留まってスカウトされた。内閣情報調査室では上司の命令に従っていれば良かったが、新しい職場では彼の経験の高さゆえに特定の分析の責任者に任命されるようになった。彼はこれを嫌っている。誰かに命令するということに慣れていないのだ。

溜め息をつきながら、頭の中でどのような班を編成するべきか考える。

“班員は全部で8人。4人を武田、あとの4人を新しい証拠…いや、優先順位を決めないといけない。黒田局長に聞いた方がいいな…”

彼が固定電話の受話器を持ち上げようとした時、パソコンのディスプレイに映し出された写真に目を奪われた。写っていたのはカバーが外された3台の携帯電話であり、その内の2台は完全にカバーが外されて内部が剥き出しの状態であり、最後の1台は電池が取り除かれて2本のコードが本体からはみ出ている。ネズミ取りも使用しているプリペイド式の携帯電話であったため、水谷はすぐ見分けがついた。

“起爆装置?”分析官の頭に浮かんだ最初の言葉はこれであった。可能性はある。問題は使用用途と逃走中のテロリストが既に爆弾を何所かに設置した可能性である。まだ設置していなかったとしても、人口密集地域で使用されれば一大事になる。

分析官は写真を黒田のパソコンに送るとタブレットを持って上司のオフィスへ急いだ。彼とすれ違う形で片足を引き摺った広瀬が黒田のオフィスを後にした。素早く上司の部屋に入ると、童顔の男が訝しみながらも水谷を見た。今までこの中年の分析官が走るのを見たことがなかったからである。

「どうした?」と黒田。

「起爆装置らしき物をテロリストの隠れ家で見つけました。」

「どっちの?」

「赤屋根の方です。黒田さんのパソコンにもデータを送ったので見てください。」

 目の前に差し出されたタブレットの画面に映る写真には3台の携帯電話が映っており、これに似た起爆装置を見たことがある黒田は顎を擦った。

 「しかし、これが起爆装置だという確証は?」

 タブレットの画面を再び自分へ向けると、分析官は予め用意していた画像ファイルを開けてそれを上司に見せる。そこには黒田が頭に思い浮かべていた起爆装置の画像があった。

 「支局長の問いですが、確証はありません。しかし、この赤屋根の建物で見つかった起爆装置らしき物は、1年前に官邸近くで爆破テロ未遂を犯した男の起爆装置に似ています。」

 黒田は何も言わず、目の前に出された画像を見つめたままであった。これを見て水谷は自分の仮説を話す時間があると判断し、話しを進めることにした。

 「あくまで仮説ですが、テロリストがどこかで爆破テロを行う可能性があります。西野さんたちが襲撃した武田衛の船には5キロ近くのプラスチック爆薬があったと鑑識は推測しています。もしかすると、テロリストは計画の発覚を恐れて、いくつかの場所に爆薬を隠し持っているかもしれません。時が来るまで…」

 支局長はメモ帳に気になることを走り書きして水谷を見る。「となると、標的は小田議員か?」

 「そう考えるのが自然かと思います。」

「しかし…武田が全ての爆薬を使った可能性はないか?」黒田が腕を組む。

水谷はこの問いを聞いて固まった。このような質問が来ると全く予期していなかった。「可能性は否定できません。」

「仮にも君の推測が正しければ、少量のプラスチック爆薬が武田の隠れ家にあっても不思議ではないはずだが、見つかった爆発物は手榴弾だけだった。」

黒田の言う通り、水谷の仮説が正しければ武田の隠れ家にあってもおかしくはなかった。

「既に警戒して爆薬を移動させていたのかもしれません。広瀬さんの報告では武田たちは隠れ家の荷物を移動させていたようですし…」分析官は別の可能性について述べたが、自信がなかったためにその声は小さかった。

「そこまで言うと切りがない。調べる価値はあるが、捜査官の数には限りがあるからな。もう少しテロリストのアジトにあった証拠品を分析して証拠を固めてくれ。この証拠だけでは少し無理がある。」

「分かりました。」

そう言うと、水谷は早足で支局長のオフィスを後にすると自分の机に戻って証拠探しを始めた。

 

 

 

 建物の陰に隠れて周囲の様子を窺っていた目が異様に大きい男は近づいてくる乗用車を見ると、車の運転手を双眼鏡で確認する。そこには彼が予期していた人物の姿があり、反射的に男は助手席にも目を配るが空席であった。男は左手に持っていた無線機の送信ボタンを素早く二度押して仲間に合図を送る。合図を受け取った髪を後ろで束ねている髭面の男は椅子から立ち上がり、ガムテープで拘束されている宮崎を見下ろす。

二人は農機具を収納する色褪せた灰色の倉庫にいる。小屋の中にある灯りは天井から延びる3つの豆電球だけで薄暗く、虫たちがその電球に集って地面にその様子が陰となってうつむいている宮崎の目に映った。死を予期している刑事の思考を支配するものは家族であった。

“今朝、娘と交わした会話は何だっただろう?妻とは何を話した?せめて最後にもう一度だけ電話でもいいから妻と娘の声が聞きたい。ダメなら携帯電話に入っている家族の写真でもいい。死ぬ前に妻と娘の声と姿を脳に焼き付けたい…”

髭面の男が上着の内側から刃渡り20㎝ほどのナイフを取り出して椅子に座らせている宮崎の背後に回る。この時、刑事は家族の顔を思い出しながら、喉まで差し迫っている嗚咽を堪えて涙を流した。男がうつむいていた宮崎の髪を掴んで頭も持ち上げ、電球に照らされて異様に光るナイフを刑事の喉元に近づける。

薄い金板を軽く叩く音が外から聞こえ、引き戸がゆっくり奇妙な音を出しながら開く。中島は倉庫に入ることなく、室内にいる髭面の男と宮崎の姿を確認しただけであった。SAT隊員は宮崎と目が合うと笑みを送った。

“何で!?”刑事はそう思った。内心嬉しさもあったが、宮崎は自分を拉致したのは二人組であり、目の大きい男が中島を襲おうとしていることを知っている。

「一人か?」髭面の男が中島に問う。

「オイラ以外に誰かこのドア口にいるかい?」

男は中島の質問返しが気に食わなかった。「入れ。」ナイフを宮崎の喉元に置きながら誘拐犯が言う。

SAT隊員はゆっくりと倉庫内に入ると引き戸を閉めようとする。

「必要ない」引き戸が半分ほど閉まったところで髭面の男が中島の動きを止める。これから合流する仲間のためにも男は入り口を開けておく必要があるからである。

「そう?誰かに見られるかもしれないよ?」引き戸から手を離し、中島は出入り口の横に移動する。

「真夜中にここらをうろつく奴がいると思うか?」

「それもそうだね。」

こうしている間に中島の目は薄暗い倉庫の明かりに慣れて倉庫の全容が理解できた。倉庫内には中島を含めて三人しかおらず、約6メートル先にいる男は刃渡りの長いナイフしか持っていないが、予備の武器を装備している可能性もある。

「ところで要件は何?」と中島。

「もう少し近くに来い。この距離で話すつもりか?」男はできるだけ中島を壁から引き離し、待機している仲間に背後からSAT隊員を襲わせたかった。

「十分会話できてると思うけど?」

髭面の男の額に青筋が浮かぶ。「コイツの首を掻き切るぞ!」

男の声は宮崎の耳朶を震わせ、刑事は驚いて体がビクンと動く。この言葉に若い刑事は目前に迫る死に怯え、目から涙が溢れてきた。

「宮崎くん。」中島が刑事の名前を呼ぶ。「大丈夫だよ。なんかとなるから…」

「てめぇ、話し―」

「そっちに行くよ」男を遮ってSAT隊員が二人に近づく。

“終わりだ…”髭面の男は内心の喜びを顔に出さないように努めた。そして、出入り口で中の様子を窺っていた仲間に視線を送る。これを合図と受け止めた目が異様に大きい男は、刃渡り15㎝程のナイフを腰元で構えて駆け出す。静かに、しかし、素早く中島の背中に向かって突き進む。

距離が縮まるに連れて背後からの足音が大きくなり、中島が背後に視線を送る。彼が迫りくる男を見つけた時、彼らの距離は2メートルもなかった。SAT隊員がベルトに挟めていた拳銃に手を伸ばすと同時に銃声が何所からともなく聞こえ、目が異様に大きい男は頭から地面に向かって転んだ。男の動きは止まり、意識を失ったように見えた。

宮崎の首にナイフを押し当てていた髭面の男は驚き、出入り口を見るも誰も見当たらない。彼が再び中島に視線を戻した時、SAT隊員は銃を男に向けていた。

「てめぇ、仲間を連れ―」背後から物音を聞いて男は口を閉じ、後ろを振り返る。3メートル程離れた場所に拳銃を構えた若い男を見つけた。前に気を取られていた男は背後から迫る野村に気付くことができなかった。

「武器を捨てて投降しろ」中島は髭面男の顔に銃の標準を合わせたまま言う。

「このままで済むかよ!」怒鳴るなり、男は宮崎の首に左腕を回して勢い良く上に引き上げる。痛みから逃げるために若い刑事はその動きに従うようバランスを崩しながら立ち上がり、髭面の男は素早く刑事の腹部にナイフの刃を押し付けて壁まで宮崎を引き摺った。背中を壁に着け、宮崎を盾にしながら中島と野村の動きを伺う。

「銃を捨てろ!」髭面男が怒鳴る。しかし、彼が対峙する男たちは銃口を男から放そうとはしない。「聞こえないのか!」

 次の動きを考えなければならないにも関わらず、男は湧き上がってくる焦りに翻弄されて自分が何をすれば良いのか分からなかった。口から出てくる言葉は適当に思いついたものばかりで、目の前にいる二人の男たちはそれを見通しているかのように冷静に拳銃を真っ直ぐ男へ向けている。そして、追い打ちをかけるように出入り口から銃を構えた小木が現れた。

 「投降しろ。今ならまだ遅くない」と中島が落ち着いた口調で言う。

 「うるせぇ!」

 やぶれかぶれとなった男の行動は単純であった。彼はナイフを宮崎の腹部に突き刺し、刃の半分が刑事の体に侵入した。刺された時、宮崎は何が起きたのか分からなかった。腹部に訪れた衝撃は弱く、痛みはまったく無いに等しかった。しかし、次第に腹部から小さく焼けるような痛みを感じ、それは激痛に変化して瞬く間に全身に広まった。若い刑事はこの時、ようやく自分が刺されたことを悟った。

 野村は宮崎が刺されるのを見るや否や銃を持った右腕をしっかりと伸ばし、照星と照門で髭面男の頭を捉えるも命中させる自信はなかった。

 「銃を捨てろ!捨てねぇともっと刺すぞ!」男がナイフを押して刃を宮崎の腹部に押し入れて行く。

これ以上は危険だと思った野村が銃を下ろした時、中島の拳銃が火を噴いて髭面男の頭部に弾丸が命中した。男と宮崎は共に地面に崩れ落ちたが、野村と中島は着地する前に宮崎を抱えて、中島は傷口を確認し、野村は刑事の口を覆っているガムテープを外した。

 「助けて…」ガムテープが取れるなり宮崎が力なく言った。

 「大丈夫」SAT隊員がやさしく若い刑事に話しかける。「ちょっと痛いかもしれないけど、すぐ良くなるから。」

 野村と中島はゆっくりと宮崎を持ち上げ、刑事は低く呻きながらも腹部の痛みに耐えて出入り口に向かう。一方の小木は急いで車を倉庫の出入り口まで運転して後部座席のドアを開ける。ちょうど宮崎を抱えた二人が倉庫から出てきて慎重に刑事を後部座席に寝させる。

 「あとはお願いします」中島が野村と小木に言う。

 ネズミ取りの捜査官二人は動きを止めてSAT隊員を見る。「中島さんは?」と野村。

 「オイラは野暮用を片付けてから行きます。」

 

 

 

 

 右ストレートが顔面目がけて飛んできた。反射的に繰り出した右腕でその軌道を変え、堀内は相手との距離を縮めようと相手の横へ移動しようと動く。

 彼の相手はだぶだぶの服を着ていて動きは鈍いと思っていたが、予想に反して攻撃の速度は素早くて威力もある。しかし、勝機を失ったわけではない。

 横に移動するなり、素早く2打を中島の側頭部に入れ、SAT隊員が彼の方を向く前に左肘を中島の脊椎の辺りに叩き込んだ。そして、この一撃によって中島は両肘を着いて床に崩れ落ちた。

 “ざまぁみろ!”

 テロリストが勝利の味を堪能していると、倒したはずのSAT隊員が立ち上がって堀内の喉に強烈な正拳突きを送り込む。呼吸困難に陥ったテロリストは酸素を得ようと喉に両手を当てようとしたが、中島に腕と首を固定されて膝蹴りを下から抉り上げるようにして腹部に膝蹴りを受けた。そして、止めを刺すため、額に手を添えるようにして背後のロッカーに叩きつけようと動き出した。反撃を起こさせる怒りよりも堀内の思考を支配していたのは「死」という恐怖であった。

 中島の最後の一撃が決まりかけた時、堀内は横になっていたベッドから飛び上がってSAT隊員を探す。しかし、彼が目にした物は四方を囲む質素なコンクリートの壁、小さな手洗い用シンク、トイレ、そして、彼が今座っている簡易ベッドだけであった。しばらくして堀内は部屋の角にある小さな監視カメラの存在に気付いた。

 “まだ生きてるのか…”安堵する一方で、簡易ベッドのパイプに片腕だけ手錠で繋がれた状態を目の当たりにして中島に対する怒りが増幅した。

 機械音が響いて彼がいる部屋のドアが開き、男が入って来た。

「やってくれたね…」男が後ろ手でドアを閉めて言う。

「誰だ?」と堀内。

「あまり時間がない。手短に行くよ。」

「質問に答えろ!」

やって来た男は腕時計に目を配ると、次に監視カメラに一瞥を送る。「あと30秒しかない。僕が出て行った数分後に再びここのロックが解ける。その間にここから出て、外に止めてある白い乗用車に乗ってあのホテルに向かえ。武器は車に積んである。」

「俺を泳がせるつもりか?」

堀内の問いを聞くと男は額に青筋を浮かべ、今までとは打って変わった鋭い目つきでベッドに座るテロリストを睨み付けた。「小田を殺すチャンスをこれ以上逃すことはできない。君には期待してるんだ。もう次はないと思って行動しろ。」そう言うと、男は黒い小さな棒状の物を堀内に投げ渡して部屋を後にする。

 しばらく、立ち去った男のことを考えていた堀内であったが、受け取った物を見て抱いていた疑いは消し飛んだ。 


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