S.N.A.F.U. (6) 後編 [S.N.A.F.U.]

 壁に沿うようにして一列に並んで進む人々は前を歩く人の背中に手を置き、先頭にいる短機関銃を持つ男が左拳を上げると止まって息を潜めた。

 廊下には血溜まりの中で倒れる看護師や入院服姿の人、診察に来ていた人々の死体があり、中には重傷を負った人が彼らに助けを求めることもあった。その場合は急いで止血して、すぐに戻ってくることを伝えて先を急いだ。

 曲がり角に差し掛かると、先頭の井上が左拳を上げて後ろにいる人々に止まるよう合図を出し、短機関銃を構えた状態で上半身を少し右に傾けて曲がり角から身を乗り出した。これから進もうとしている道にはうつ伏せに倒れている入院服を着た女性と男性看護師がおり、死体の手前に非常階段の入り口があった。その廊下の先には超音波検査室があるだけで、人の気配は感じられなかった。

 安全を確認すると井上は角を曲がり、素早く反対側の壁へ移動すると下向きの半円を描くように銃口を移動させて後方と左右の確認を行う。そして、彼は左手で手招きして後続の人々に角を曲がるように合図を送った。その間、捜査官は前後左右に注意を払い、全員が角を曲がり終えるのを確認すると再び下向きの半円を描くように銃口を移動させて非常階段を目指した。

 井上の真後ろには岩田がおり、彼女は捜査官の着ている襟付きの半袖シャツの裾を掴もうとしたが、井上はいざという時の移動の際にケガをする恐れがあるから背中に手を置くように言った。この背中に手を置く行為は、離れずに行動するためである。

 一行は非常階段の入り口に近づいた。井上は入り口の手前で止まり、再び左拳を上げて止まれの合図を出すと上半身を少し左へ傾け、非常階段の踊り場と下に続く階段へ素早く銃口を向けた。そこに人影はなかったが、捜査官は1階へ続く階段に銃口を向けたまま踊り場へ進み、次に上階に続く階段へ銃を向けた。踊り場の安全を確保し、井上は人々を踊り場に集めた。

 「もう少しの辛抱だから頑張って下さい」井上は踊り場に集まった人々に笑顔を向けた。それでも人々の顔は緊張と恐怖で固まっており、捜査官の言葉を聞いてもまだ安心できていなかった。

 〝班長、早くSATを投入して下さいよぉ〜〟

 そう思いながら、井上は廊下の様子を再度確認し、さらに階段の安全を確保してから1階と2階の間にある踊り場まで移動した。その際に井上は手摺りの近くに立ち、全員の移動が終わるまでそこで階段の安全確認を行なった。

 病院の裏口が近いこともあっても人々の気持ちは昂り、この緊張状態が逃げ出したいスーツ姿の中年男性が突然階段を駆け下りた。彼に続いて3人の男女が裏口を目指して走り出した。

 「ま、待て!」井上が左手を伸ばして止めようとしたが、走り出した4人は1階の廊下に飛び出して右へ移動した。「クソッ!」

 身勝手な行動を取った4人の身を案じた捜査官は急いで階段を下り、階段の入り口に到達すると素早く廊下に銃口を向けて脅威の有無を確認した。異常なし。

 再び右へ視線を向けると、走って裏口に向かう4人の姿を確認した。病院の裏口まで約20メートルほどあるように見えた。井上は1階と2階の間にある踊り場で待機していた人々に近くに来るよう手招きし、走って逃げる4人の後ろ姿を見守った。

 〝クソッ!SATの突入とアイツらが鉢合わせしないようにしないと…〟井上はスマートフォンを取り出して半田へ電話をかけた。

 「井上か?」彼の上司はすぐに応えた。

 「SATの突入はいつですか?」

 「まだ警視庁の判断を待っている。」

 半田の言葉に井上は戸惑った。

 「短機関銃を持った奴らがまだ病院内で暴れてるんですよ?何を迷う必要があるんですか?」

 「俺からも突入するよう掛け合っているが、警視庁は決断を渋っているんだ。お前は大丈夫なのか?」部下の身を案じている半田が尋ねた。

 「オレは大丈夫で−」

 断続的な轟音が廊下に鳴り響き、裏口に向かって走っていたスーツ姿の中年男性が一瞬、宙に浮いて床に落ちた。彼の後ろを追っていた高齢の男性は驚いて動きが止め、その間に左腕と首に複数の銃弾を受けた。高齢の男性は見えない何かに押されたように、右へ弾き飛ばされて床に叩きつけられた。

これを目撃した後続の2人の内、若い男性は走る速度を上げて裏口を目指し、もう一人の中年女性は悲鳴を上げて引き返し始めた。

銃声を耳にすると、井上と共に行動していた人々が悲鳴を上げ、怯えた3人が上の階へ逃げようと走り出した。その後に続々と人が続き、残ったのは岩田と彼女の同僚、足の不自由な高齢男性、10代の若いカップル、そして、7歳くらいの少女であった。

 井上は引き返して逃げてくる女性を救おうとした時、裏口に近い十字路の左側から黒い服の二人組が姿を現れた。

 「伏せろッ!」

 井上が女性に向かって叫んだが、逃げることに必死な彼女の耳に捜査官の声は届いておらず、女性は背中に複数の銃弾を浴び、頭から床に落ちて息絶えた。

 一方、裏口に向かっていた若い男性は自動ドアを抜けて外に出ることに成功していた。日光を浴びた男性が外の空気を吸うと、頭部と背中に銃弾を浴びて地面に崩れ落ちた。この光景は近くの建物から中継を行なっていた複数のテレビ局のカメラに捉えられていた。

 〝クソッタレ!〟

 井上は二人組の男に向けて銃撃を加えながら岩田の近くへ移動した。

 「上に逃げるんだッ!」捜査官は襷掛けしていたメッセンジャーバッグから短機関銃の予備弾倉を1つ取って言った。「それと−」

 まだ半田との通話が繋がっているスマートフォンを岩田に渡そうとした時、井上たちの足元に深緑色の手榴弾が転がってきた。捜査官は咄嗟にそれを蹴り飛ばし、手榴弾は壁にぶつかって、持ち主の近くへ向かって飛んだ。素早く井上は岩田に覆い被さって爆発に備えた。廊下から悲鳴のような声が聞こえたかと思うと、破裂音と爆風が井上の背中を襲った。

 「電話の人に状況を説明して欲しいんだ!」スマートフォンを看護師の岩田に渡して井上が叫んだ。「できるだけ奴らの気を引くから、安全な場所に隠れて!」捜査官は素早く短機関銃の弾倉を交換した。

 「井上さんは?」反対側の壁へ移動しようとした井上の腕を掴んで岩田が尋ねた。

 「ちょっとだけ時間稼ぎをするよ。すぐに合流するから!」捜査官は笑みを浮かべ、左腕を掴む彼女の手を優しく解いた。

 「一緒に逃げようよ!」岩田は再び井上の腕を掴んだ。

 「すぐに後を追うから。大丈夫だよ。」

 廊下から再び断続的な銃声が聞こえ、銃弾が非常階段付近の壁にめり込んだ。

 「すぐに追いつくからッ!」焦りを覚えた捜査官は女性看護師から素早く離れ、反対側の壁を移動すると壁から少し身を乗り出して短機関銃を発砲する2人の男に向けて銃撃を加えた。「早く行くんだッ!」まだ階段で立ち止まっている岩田とその後ろにいる人々に向けて叫んだ。

 今までに見たことのない井上の表情を見た岩田は下唇を噛んだ末、背後に控えていた人々と共に来た道を引き返し始めた。

 視界の隅でそれを確認した井上は再び壁から少し身を乗り出し、襲撃者たちに銃撃を加えた。彼は3、4発の銃弾を発射させるように人差し指で引き金を操作し、相手の前進を遅らせようとした。事実、二人の男は壁の凹みに身を隠して飛んでくる銃弾から逃げた。

 岩田たちが1階と2階の踊り場に辿り着いた時、捜査官は左腕に鈍い痛みを感じて腕を確認した。着ていた襟付き半袖シャツの左袖が引き裂かれ、一筋の太い赤い線が左上腕にあった。そこからは血液が溢れ、傷を認識すると井上は苦悶の表情を浮かべて片膝をついた。すると、何かが頭上の空気を切り裂き、先ほどまで彼がいた場所に複数の小さな穴が開いた。

 井上は先ほどまで銃弾を加えていた場所と反対側の通路に視線を向けた。そこで彼は短機関銃を構える新たな二人組の男がいた。

〝まだいるのね…〟捜査官は急いで奥へ隠れ、左脇に短機関銃を挟むと右手を鞄に伸ばした。

 「井上さんッ!」岩田が弾倉を交換しようとした井上に近づいてきた。

 「何してるの?早く逃げろって!」

 「でも…」女性看護師は捜査官の腕の傷を確認した。

 〝クソッ!〟装填する時間が惜しいと思った井上は、非常時のために入れていたもう一つの短機関銃を鞄から取り出した。

 「一緒に逃げよう。」そう言って捜査官は立ち上がって階段を目指した。


 

***






 新川は左側の通りから現れた濃紺色のTシャツ姿の男が浦木の背中に押し蹴りを浴びせ、振り返った男性捜査官に素早く左右の拳を叩き込むのを見た。反応が遅れたものの、彼女は右手に持っていた拳銃を男に向けた。

 その時、右側から物音が聞こえた。女性捜査官が顔を向けると乗用車のボンネットの上をスライドして近づいてくる黒い服の男を確認した。焦った新川は銃を向けようとしたが、その前に黒い服の男の蹴りが彼女の腹部を捉えた。あまりの衝撃に女性捜査官は後ろへ飛ばされ、後方にあった軽自動車に背中を打ちつけた。

 一方、浦木に奇襲をかけた男は素早く左手を伸ばして男性捜査官の持っていた拳銃の銃身を掴み、右拳を浦木の右手首に打ち込んで拳銃をもぎ取った。間を開けずに男は右裏拳を浦木の右側頭部に向けて放った。

 銃を奪われた浦木であったが、彼は相手の動きを確認すると左手で男の右腕を止めた。そして、右手を左手とクロスさせるように突き出し、右腕で相手の右腕を遠くへ押しやりながら左斜め前へ移動した。男性捜査官は相手の右横へ移動すると、素早く左掌底を男の右側頭部に浴びせた。

 反撃を受けたことに怒った男は右拳を水平に振り、それで浦木の頭部を殴ろうとした。だが、その大振りな動きを男性捜査官は身を屈めて回避し、姿勢を低くした勢いを利用して右拳を斜めに振り下ろして相手の右膝の内側に叩き込んだ。

 激痛に男は顔を歪め、体が少し右に傾く。その瞬間、浦木は立ち上がる反動を使って、突き上げるように左掌底を相手の顎下に入れた。男性捜査官は手を止めず、右拳を相手の胸に叩き込み、続けて左手を相手の右側頭部に添えると右にあった乗用車の車体に男の頭を叩きつけた。

 その頃、新川は黒い服の男に銃を持つ右手を抑えつけられ、顔を殴られた後に首を締められた。首を襲う激痛に彼女は苦しみながらも、左手を伸ばして親指で相手の右目を突いた。男は呻き声を上げて新川から離れ、苦しみから解放された女性捜査官は咳き込んだ。

 右目を赤くした男が反撃に出ようとした時、左膝横を蹴り飛ばされた。激痛に悲鳴を上げようとした口を開こうとした途端、左側頭部を固い物体で殴られて男は殴られた箇所を抑えて前屈みになり、その隙に新川は彼の背後へ移動して相手の右膝を蹴り飛ばして膝をつかせ、男の背中に銃口を向けた。

 「あ、ありがとうございます…」黒い服の男から目を離さずに新川が助けてくれた浦木に礼を言った。

 「大丈夫ですか?」浦木は右手に持った拳銃を胸の前で構え、左手を腰の近くに置いて周囲に視線を配っていた。

 「なんとか…」左手で痛む首に触れて女性捜査官が応えた。

 「この2人を拘束しましょう。他に仲間がいるかもしれませんので、気を抜かずに。」

 浦木が周囲を警戒している間に新川は黒い服の男に手錠をかけて拘束し、少し離れた場所で気絶しているもう一人の男に近づいた。手錠を浦木から借り、緊張しながら濃紺色のTシャツ姿の男を拘束した。その間も男性捜査官は周囲に視線を走らせ、不審な人物を探していた。

 「班長に連絡します。」新川が拳銃をホルスターに戻し、スマートフォンを取り出した。

 「お願いします。」鋭い視線を配らせながら浦木が言った。「それからこの二人の持ち物を確認してもらえますか?」

 「分かりました。」右耳にスマートフォンを当てながら、新川はしゃがんで気絶している男のジーンズのポケットを確認し始めた。ジーンズの前ポケットには何も入っていなかったが、後ろポケットの左にスマートフォン、右に財布が入っていた。それらをポケットから取り出した時、呼び出し音が消えて上司の声が聞こえてきた。

 「新川、状況は?」

 「病院へ移動中に手榴弾を持ったテロリストと遭遇して…浦木さんと拘束しました。」左手に持つ拘束した男の財布とスマートフォンを見つめて新川が報告した。

 「二人ともケガはないか?」

 「大丈夫です。拘束した男から財布とスマートフォンの回収ができたので、こちらのデータをそちらに送ります。その後、病院に向かいます。」

 「いや、お前たちはそこで待機しろ。他の場所でも手榴弾を使った攻撃が起こっている。状況次第では病院でなく、他の現場に行ってもらうことになるかもしれない。」できれば、半田は新川と浦木を病院に向かわせて井上たちを助け出して欲しかった。しかし、複数の場所で攻撃が発生しており、捜査官を特定の位置に集中させることで緊急時の対応が遅れることは避けたかった。

 「分かりました。それでは浦木さんとここで待機します。その間に入手したスマートフォンと財布の情報を送ります。」

 「頼む。そして、気をつけろよ。」

 「分かりました。」





***





 黒い布の上に並べられているナイフを見て金村は腕を組んだ。

 「そんなんで良いんかい?」化粧台の椅子に座る太った男が尋ねた。

 金村は両刃のナイフを右手で取ると、手首を左右に振ったり、回転させたりして手に馴染むかどうか確認した。

 「コイツは不器用でね…」無言の金村に代わって眉毛の太い、押尾という名の男が言った。

 太った男は背もたれに体を預け、ベッドの近くでナイフを選んでいる坊主頭の男を見つめた。

 彼らは都内のビジネスホテルの一室におり、金村を見つめている男は主に動物の密輸を行っているが、細々とその密輸ルートを使って途上国の武器を売る商売をしていた。

 〝まぁ、単価は低いが、稼ぎは稼ぎ…〟男はそう思っていた。

 金村は両刃のナイフを元の位置に戻し、別のナイフを片手に取った。それは柄の先端に穴のある鎌のようなナイフであり、握ってみると小指が柄の先端にある円に当たって持ちにくい形状だった。

 「その穴に指を入れるんだ。今のアンタの持ち方だと小指を入れ、逆手持ちなら人差し指を入れる。」太った男が部屋に流れていた沈黙を破った。

 「珍しい形だな…」押尾が金村の手にあるナイフを見て言った。

 坊主頭の金村は鎌のような形状のナイフにある穴に小指を入れ、手首を回して手に馴染むか確認したが、下唇を噛んでそれを布の上に戻した。

 「これとこれにする。」金村は最初に取った両刃のナイフと刃渡り5センチほどの柄がT字型になっているナイフを指差した。

 「ケースもいるか?」足元に置いていた鞄を持って太った男が立ち上がった。

 「あぁ…」金村は布の一番端に置いてある片刃の大きなナイフを見た。

 「ケースをつけて10万だな。」茶色の鞄にあるナイフの鞘を探しながら男が言った。

 「分かった。」金村は目をつけていた片刃のナイフを取り、鞄の中身に夢中になっていた男の顎を下から突き刺した。





***
 


 
 
 手榴弾が1階の踊り場に放り込まれた。

 その時、井上と岩田は1階と2階の間にある踊り場まで移動していたが、振り返った捜査官が深緑色の転がる球体を目にすると、前を歩いていた岩田の背中を押して上階へ続く階段で伏せさせ、井上は彼女の上に覆いかぶさった。直後、破裂音と爆風が二人を襲い、男性捜査官の下で丸くなっていた岩田が悲鳴を上げた。

 爆発音を耳にした襲撃者4人は素早く1階の踊り場へ移動し、上階に向けて一斉に発砲を開始した。耳朶を震わせるような轟音が室内に響き、大量の薬莢が落ちて床に散らばった。

 「急いで!」起き上がると井上は女性看護師の背中を押し、階段の手すりから身を乗り出して応射しようとした。しかし、あまりにも弾幕が厚く、彼は動けなかった。

 その間に岩田は2階へ移動し、振り返って井上の姿を確認しようとしたが、そこに男性捜査官の姿がなかったのでパニックに陥った。

 少し弾幕が薄くなるのを期待していたが、その瞬間はなかなか訪れなかった。

 〝適当に発砲して逃げるか?〟

 そのまま逃げる選択肢もあったが、既に上階へ逃げた人々の状況が分からず、それに足の不自由な人もいたため、下手に逃げて犠牲者が出るのは食い止めたかった。ゆえに井上はできる限り、この場で襲撃者たちを食い止めようと考えていた。

 井上が階段の手摺りに背を預けて相手の様子を伺っていた頃、襲撃者たちは彼が逃げたと思って二人が発砲しながら階段を上がり始めた。残りの二人は踊り場で待機し、再装填しようと鞄に手を伸ばした。

 再装填を試みていた二人の足元に丸い円柱状の物体が転がってきた。それは出口に近い男の右足に当たって止まり、ふと足元へ視線を向けた瞬間、爆音と閃光が室内を満たした。これに4人は混乱した。彼らは視力と聴力の両方を失い、階段を上がっていた一人は足を踏み外して転んでしまった。

 閃光手榴弾が爆発すると、二名のSAT隊員が壁から身を乗り出して踊り場にいた二人の片脚を撃ち、素早く踊り場に進入して一人が上階へ続く階段へMP5短機関銃の銃口を向けた。彼は階段が落ちてくる一人の男を見つけ、その男に注意を向けた。しかし、1階と2階の間にある踊り場付近にいる別の男を発見すると、素早く銃口を動かして引き金を絞った。

 放たれた銃弾は視力と聴力を奪われて前傾姿勢になっていた男の右太腿裏に命中し、男は仰向けに倒れて踊り場に着地した。

 一方、もう一人のSAT隊員が後続の仲間と共に、脚を撃たれた二人の襲撃者を床に押し倒し、短機関銃を取り上げて拘束した。すると、階段から短機関銃を右手に持つ一人の男が滑り落ちてきた。一人のSAT隊員が壁に沿って階段を上がっている仲間を援護するために階段の上へ銃口を向け、もう一人が落ちてきた男を拘束した。

 踊り場に崩れ落ちた男の視力は戻りつつあった。そして、視界が明るくなると右手を伸ばして短機関銃の引き金に指をかけた。だが、その直後に右腕に激痛が走り、男は短機関銃を落とした。

 階段を登っていたSAT隊員は後ろにいる仲間が発砲したと思ったが、階段を登り切った時に発砲した人物が別にいたことを知った。

 「井上さんですか?」SAT隊員が上階へ銃口を向け、壁に背を預けて座っている男に尋ねた。その隣には若い女性看護師の姿があった。

 「ちょっと遅すぎるんじゃない?」井上が右手に持っていた短機関銃を右太腿の上に置いた。

 「色々とありまして…すぐに救護班を呼びますので、ここでお待ち下さい。」

 「了解…」

 井上の言葉を聞くとSAT隊員は階段を上がり、その後を3人の隊員が続いた。





***




 JCTCの局長である本郷光太郎が、第1課課長の一文字武志から渡されたスマートフォンを机の上に置いた。

 「これ以上事態を悪化させる必要はないでしょう…」本郷は自分の前に立つ3人の男を見て言った。「他にSATの突入を遅らせている場所があれば、すぐ行動するように伝えなさい。警視庁から文句が来たら、私の指示だと言って後日詳細を話すと言っておくと良い。」

 そう言って本郷は大会議室を後にした。彼は突然会議室に現れ、井上がいる病院で指揮しているSATに連絡するように言い、回線が繋がるなり突入命令を出した。電話の相手は混乱していたが、本郷が「責任は自分が取る」と言って電話を切った。

 局長の後ろ姿を見送る第1課から3課の課長たちは呆気に取られていたが、すぐに気を取り直して部下たちの方を見た。

 「突入待機をしているSATと連絡を取ってくれ!」第1課の一文字が叫んだ。

 分析官たちは急いで現場で突入の合図を待っているSAT隊員の隊長へ連絡し、回線が繋がるとそれを課長たちの電話に回した。

 右手に持っていた半田のスマートフォンが震え、彼は急いで電話に出た。

 「半田だ。」

 「井上です。」

 部下の声を聞くと半田の胸に纏わりついていた不快感が消え去った。数分前に井上と電話で話していたが、その途中で爆発音が聞こえて通話が終了していたのだ。半田は井上が重傷を負ったと思い、心配していた。

 「大丈夫か?」

 「左腕をちょっとケガしましたけど、生きてますよ。でも、SATの突入が少し早かったら、ケガしなくてすんだかもしれませんが…」

 「文句なら後で聞いてやる。まだ他の病院でも同様の事件が発生していて、SATが突入を始めたばかりだ。それに病院の付近で手榴弾を使った攻撃も起こっている。」

 「かなりヤバそうですね…」左腕の手当てを受けていた井上は、他の場所でも同様の事件が起きていることを知って驚いた。

 「浦木と新川が手榴弾を持った二人組と交戦し、拘束したとの報告があった。お陰で連中の正体が分かってきた。」半田は近くにあった机に左手を置き、作業している柄沢のPCモニターを覗きんだ。

 「この攻撃を仕掛けてる連中は何者なんですか?」と井上。

 「お前もよく知ってる組織だ。」

 「オレも?」

 「あぁ…数ヶ月前に俺たちが捜査した左翼組織だ。」
 




* * *




 草加亮の導き出した答えは「革命」であった。

 貧困という日本だけでなく、多くの国々が抱える問題を解決するためには自分たちのような貧しい人々が行動を起こし、中央政府を倒す必要がある。

 今まで母からの承認を得ることを目的として生きていた彼に新しい目的が生まれ、それは草加に活力を与えた。貧困問題を解決するために強力な敵と戦うことを考える度に、彼の胸は熱くなって使命感に燃えた。

 〝多くの人々は国の言うことしか聞かない操り人形だ。このままではダメなんだ。誰かが立ち上がらないと!〟

 腐敗した政府との戦うことこそ自分の使命だと思った草加は大学の勉強を疎かにして、貧困に関するセミナーに参加したり、インターネットの掲示板で意見交換を行うようになった。インターネット、特にソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)は彼と同じ意見を持つ人々と出会う機会を与えてくれた。草加はSNSで知り合った人々と様々な情報を交換し、自分たちの運動を多くの人に知ってもらい、大衆を食い物にしている中央政府を打倒しようと考えていた。

 SNSで情報交換をしていたある日、草加は時の内閣が国会に提出した法案に反対する学生団体の存在を知った。その団体は『テイク・アクション』と名乗っており、多くの若者に「行動を起こそう」と訴えていた。彼らの理念に同調した草加は積極的に『テイク・アクション』の活動に参加するようになり、気付いた時には貧困問題に詳しい人物として団体の中でも一目置かれるようになっていた。

 彼の熱心な姿勢から『テイク・アクション』は草加を貧困問題を担当するサブ・リーダーとした。『テイク・アクション』にリーダーは存在せず、サブ・リーダーしかいない。これは中央政府が進める一極集中主義への批判、そして、強いリーダーの存在が腐敗に繋がると思っていたからであった。

 『テイク・アクション』はメディアに取り上げられ、その知名度は一気に上がり、一部の学者や野党の政治家までも彼らのデモ活動に参加するようになった。大衆の注目を浴びて、草加は目指していた「革命」は近いと思い、デモ行動中に歓喜して涙を流した。

 メディアに取り上げるられることで、デモに参加している人々は支持を得られると思っていたが、大衆からの視線は冷ややかであった。それでも『テイク・アクション』と彼らを応援する人々は気にせず活動を続け、国会で審議されている法案を廃棄に追い込もうとした。

 しかし、その法案は可決した。草加はこれに猛反発し、反対のデモ行動を起こすべきだと仲間に訴えた。

 「もう無理でしょ。通っちゃったし…」仲間の一人が言った。

 「そうですよ。また頑張りましょうよ、草加さん!」別の仲間が笑みを浮かべてビールを飲んだ。

 〝何を言ってるんだ…?〟

 草加は混乱した。彼と一緒に活動していた人々は同じ志を持っていたのに、法案が可決した途端にまるで何もなかったかのように振る舞っている。

 〝コイツらも他の連中と変わらない。コイツらも政府に洗脳されているんだ。僕だけだ…僕だけが政府の思い通りにならない『特別な存在』なんだ…〟

 『テイク・アクション』に失望したのは草加だけではなかった。彼と同じような不信感を抱くメンバーも中にはいた。

 「新しい組織を作ろう…」草加は『テイク・アクション』の活動方針に不満を持っているメンバー数人を集めて言った。

 集められた数人は彼の言葉を聞くと胸を躍らせ、草加の次の言葉を待った。

 「『テイク・アクション』は死んだ…いや、あの組織は元々、国に洗脳された連中が作り出した傀儡だったんだ。僕たちのいるべき場所ではなかった…これからが本当の戦いだ。」草加がメンバーの顔を見回した。「今日から『紅蓮』と名乗ろう…」数日前から考えていた組織の名前を言った。

 その名前を聞いた数人のメンバーは鳥肌を立てた。

 「僕たちの胸の内にある火は大きくなり、炎となった。この炎は人々の心に影響を与え、さらに大きな炎になる。そして、その炎はこの国を大きく変えるんだ。」
 



* * *




 ドアを開けた時、その男は窓の外に広がる景色を見ていた。

 押尾と金村が部屋に入ってきても、男は振り向かず、代わりにドアの横にいた別の男が反応して拳銃を押尾の左側頭部に押しつけた。

「俺だよ。押尾だ…」眉毛の太い男が拳銃を向ける男へ視線を向けた。「銃を下ろせよ、梶原。」

押尾とその後ろにいる金村を確認すると、浅黒い肌をした長身の男が銃を下ろしてそれをベルトに挟めた。

 二人が梶原という名の男に気を取られている間、外の景色を眺めていた男が振り返った。その男は白い襟付きの半袖シャツとベージュのスラックス姿であり、押尾と金村を見つけると部屋の隅にあった椅子を指差して座るように促した。

 「遅くなってすみません。」押尾がパイプ椅子に腰掛けた。「金村の尾行や買い物がありまして…」

 「大丈夫ですよ。」男が窓の近くに置いていたオフィス椅子に腰掛けた。

 突然、金村が椅子から立ち上がり、男の方を向いて土下座をした。急に彼が動いたため、ドアの横にいた梶原が銃把に手をかけ、驚いた押尾も足首に巻きつけていたナイフに手を伸ばした。

 「すみませんでしたッ!」部屋に響くくらいの大きな声で金村が叫んだ。

 「頭を上げてください」男は優しく坊主頭の男に話しかけた。「あなたの責任ではない。あれは久野さんの責任です。」

 金村は頭を上げて椅子に座る男の顔を仰ぎ見た。

 「私たちにはやらなければならないことがある。そうでしょう?」

 「はい…」そう言って金村は頷いた。

 「既に仲間たちが動いている。」男が押尾を見た。「何も問題はないですよね?」

 「はい。ありません。」眉毛の太い男が頷く。

 「それではステージ2に入りましょう。」男は床を軽く蹴って椅子を窓の方へ回転させた。

 〝革命の始まりだ…〟窓の外に広がる景色を見ながら草加亮は口元を緩めた。






(続く…事はないかもしれない!)

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