返報 14-1 [返報]


 「また会えましたね。」西野の隣に腰掛けるなり、藤木孝太が言った。

 西野は昨日出会った男の唐突な出現に少し動揺したが、すぐに気持ちを切り替えた。

 「髭を剃ったんですね。」藤木が隣に座る元警察官の顔を見て笑みを浮かべた。「その方が似合ってますよ。」

 そう言われると西野は俯いて、今朝剃ったばかりの頬を右親指で軽く触れた。

 「無駄話のために来たわけじゃないだろ?」ここに来た理由を思い出して元警察官が藤木の方を見た。

 「いきなり本題に入るのって、すごく堅苦しいでしょ?だから、ちょっと世間話しをしようかと思いまして…」

 西野は藤木の馴れ馴れしい喋り方が好きになれなかった。

 「しかし、お望みであれば本題に入りましょう。西野さんの答えを聞かせてください。」

 藤木の顔に浮かんでいた笑みが消えた。銀縁眼鏡のレンズ越しに見える彼の双眸は鋭く、先程とは打って変わって真面目な人間に見える。

 「逆に聞きたい事があるんだ…」西野が藤木から視線を逸らさずに言った。「俺はもう二度とあんな連中と関わりたくない。アンタも分かるはずだ。何でまだその仕事をやっていられるんだ?」

 予期せぬ言葉にネズミ取りの捜査官は首をかしげた。「良い質問ですねぇ~」

 西野は黙って藤木を見つめ続けた。

 「実は…」藤木が口元を微かに緩めて口を開いた。「似た質問を友人にしたことがあります。堅物な男でして…ものすごく仕事熱心なんですよ。彼に尋ねると、非常に臭い台詞を言いました。」

 横に座る元警察官が先を促す。

 「『守りたいものがあるから』だそうです。」藤木は西野の反応を見て先を続けることにした。「私だって西野さんの言う“あんな連中”とは関わりたくないです。でも、私たちが求めていなくても、彼らは来るんです。中には話しの通じる人たちもいますが、大半は聞く耳を持たない。彼らの中に“答え”があるからです。そんな人たちを野蛮な手段を用いてでも、止めなければならない時が来るかもしれません。そんな時にみんなが『誰かがやるから大丈夫』と考えていたら、いずれ私たちは大切な物を失うでしょう。簡単に言えば、『誰かがやらなきゃいけない事』だから、私は“あんな連中”と関わりを持つことにしたんです。」

 「しかし―」

 「無理強いはしません。」藤木が西野を遮った。「嫌なら嫌と言えばいいんです。」

 「後悔してないのか?」元警察官が視線を逸らさずに尋ねた。

 「してたら、ここには来てませんよ。」ネズミ取りの捜査官がベンチから立ち上がた。「もし、気が変わったら、15時までに空港に来てください。そこで待ってます…」


















14-1






 「も、守谷……?」西野は驚きを隠せなかった。

 名前を言われると額に小さな切り傷を持つ男がニヤリと笑う。「やっと思い出したか…」

 ネズミ取りの捜査官は咄嗟に右拳を守谷の顔面に繰り出した。しかし、相手は左手でそれを掴んだ。

 「あまり良い動きじゃないな。“あの時”の方が早かったぞ…」そう言うと守谷は西野の拳から手を離さずに、頭突きを捜査官の顔面に叩き込んだ。

 鼻頭に強力な一撃を受けた西野は気が遠くのを感じた。鼻の骨が折れ、両方の穴から血が流れ出た。

 「もうすぐ警察の増援が到着します。」守谷の隣にいた大男が言った。
 「そろそろ移動するか…」









 反射的に乗用車の陰に飛び込んだものの、野村と新村は襲撃者たちの激しい銃撃を受けて身動きが取れずにいた。

 雨の様に降り注ぐ銃弾は乗用車に無数の穴を開けると同時に窓ガラスを砕いた。ガラスの破片が身を丸くして隠れている二人の捜査官の上に落ち、あまりの恐ろしさに新村は震えた。しかし、涙を流すことはなかった。一方の野村は再装填を済ませて突進を試みようとしていた。

 “このままじゃマズイ…”

 その時、銃撃の勢いが弱まった。

 野村は敵の何人かが再装填を行っていると推測して車の陰から飛び出した。そして、発砲しながら前進しようとした時、彼は手榴弾を投げようとしている敵2人を見た。野村はすぐに引き返して隠れていた新村の右腕を掴んで立ち上がらせ、二人は姿勢を低くした状態で駆け出した。

 目出し帽で顔を隠している男2人は野村と新村の位置へグレネードを投げ、放たれた2つの手榴弾は綺麗な弧を描いて二人の捜査官がいた車の手前に落ちた。

 新村の腕を引く野村はできる限り遠くへ移動したかったが、仲間を連れながら逃げるのは難しく、離れることができても5メートルが限界であった。女性捜査官は状況が読み込めなかったが、背後から聞こえてきた破裂音を耳にしてやっと状況を理解した。

 手榴弾が爆発すると二人はしゃがみ、素早く襲撃者たちがいる方へ短機関銃の銃口を向ける。銃口の前には今まで遮蔽物にしていた乗用車があって敵の姿を見ることができない。しかし、二人は襲撃者の勢いが収まりつつあることに気が付いた。

 “撤収するのか?”

 野村は銃を構えた状態で中腰の姿勢を取って襲撃者たちの様子を伺った。そして、彼は大男が西野を右肩に担いで移動するのを目撃した。先輩捜査官の危機に野村は怒り、我を忘れて目出し帽を被った襲撃者たちに向けて発砲を開始した。

 突然のことに背後で待機していた新村は狼狽えたが、彼女も連れ去られようとしている西野を見つけ、野村の行動の真意を理解する事ができた。

 大男が西野をバンに押し込もうした時、スライドドアに小さな穴が開いた。何事かと振り向くと、発砲しながら接近してくる男女の姿を確認した。すると、大男の後ろにいた男がインド製のアサルトライフルを構え、野村たちに向けて引き金を引いた。

 「構うな。」そう言って、大男がバンに乗り込んだ。

 指示を受けた男は何度か発砲してからバンの助手席に乗り、素早く再装填を行った。彼と同様に急ぐ守谷率いる襲撃者たちは応射しながら、それぞれが乗って来たバンに乗り込んでその場を後にしようとしていた。

 焦る野村は走ってバンとの距離を詰めるも、途中でMP-5Kの弾倉が空になった。再装填する時間が惜しいため、男性捜査官は腰のホルスターからUSP拳銃を素早く抜き、走り去ろうとする2台の白いバンに向けて発砲した。一方の新村は置き去りに去れた車の陰に身を隠して再装填を行い、それから先輩捜査官の後を追った。

 2台の白いバンは野村たちの攻撃を気にもせずに加速して二人の捜査官から離れて行く。

 バンが曲がり角に入る直前、野村の背後から黒い軽乗用車が接近してきて彼の右横で停車した。

 「乗って下さい!」運転席には新村がいた。

 彼女は乗り捨てられていた軽自動車を見つけ、それを借りることにしたのだ。

 後輩捜査官が下した咄嗟の行動に野村は感心しながら、黒い軽自動車の助手席に乗り込んだ。そして、彼が素早くMP-5Kの再装填を行い始めると、新村はアクセルを勢い良く踏み込んで襲撃者たちの後を追った。








 中島が腰元で構えていた銃を佐藤の右脚に向けた瞬間、中年男がSAT隊員に飛び掛かった。

 男は両手で拳銃の銃身を掴み、素早くそれを中島の腹部に押し当てて銃口を逸らした。そして、間を置かずに佐藤は右膝蹴りをSAT隊員の股間に向けて繰り出した。

 蹴りが飛んでくる直前、中島は左脚を後退させながら腰を右に捻って佐藤の金的蹴りを回避し、素早く左掌底を中年男の胸に叩き込んだ。この掌底で中年男は掴んでいた銃から手を離しそうになったが、左足で踏みとどまって次の攻撃に出た。

 一方、SAT隊員はこの隙に銃口を動かして相手の脚を撃とうとしていた。あと数ミリで狙いが定まろうとした時に佐藤の頭突きが中島の右頬を直撃し、その弾みで引き金を絞ってしまった。狭い室内に銃声が響き、拳銃弾が佐藤の右脚をかすめて軽傷を負わせた。

 中年男が銃身を強く掴んでいたため、遊底の動きが封じられて空薬莢の排出が行われなかった。ゆえに遊底を引いて薬室に残っている空薬莢を抜かなければ、銃を正常に使用することはできない。

 仕方なく中島は銃から手を離して左と右の拳をリズミカルに繰り出し、自ら拳銃を抑えるために両手の自由を封じていた佐藤は2つの拳を顔面に受けた。素早く放たれた拳であったが、威力は中年男の想像を超えて重たかった。

 佐藤は掴んでいた拳銃から手を離して2歩後退した。できるだけ距離を開けて回復を試みたのだ。だが、中島の勢いは止まらなかった。SAT隊員は左前蹴りを中年男の股間目がけて繰り出した。そして、それを見るなり佐藤は右脚で中島の蹴りを払い、SAT隊員の左側へ回る。

 中年男の動き確認するや否や、中島は左裏拳を佐藤の左側頭部に叩き込んだ。続けてSAT隊員は裏拳の勢いを利用して左へ回転し、激痛に身体を右に傾けていた相手の左頬を右拳で殴った。

 次の攻撃を恐れる佐藤は咄嗟に両腕を上げて顔面を守り、それが仇となって防御が手薄になった左横腹に中島の右蹴りを受けた。予期せぬ衝撃に中年男は体勢を崩しそうになったが、なんとか右足で踏みとどまる。

 相手の動きなど気にせず、SAT隊員は左拳を佐藤の顔に向けて繰り出す。それを見るなり中年男は左手で相手の拳を弾き、向かってくる攻撃の軌道を変えた。続いて中島が右拳を放つと、佐藤は体を左に傾けて攻撃を回避し、伸び切ろうとしていた相手の右腕を挟むようにして両手を繰り出した。右掌底でSAT隊員の右手の甲を叩き、左手ではきつく拳を作って相手の腕の内側を叩いた。

 地味な攻撃であったが、中島の腕に軽い痺れが走った。関節技を警戒したSAT隊員が腕を引こうとした時、佐藤の裏左拳が中島の右側頭部を襲った。中年男は先ほど繰り出した左拳の勢いを利用して素早く攻撃したのだ。
 
 間を置かずに佐藤が右掌底を中島の顔面に入れようとした瞬間、外から大きな爆発音が聞こえてきた。二人の動きが止まり、1秒半ほど睨み合う形になった。
 
 この爆発音は守谷の撃った携帯式対戦車擲弾発射機(注:ロケットランチャー)が西野と荒井の後方にあった乗用車に命中した際に生じたものであった。

 “来たか…”体に走る痛みを感じながら佐藤は守谷たちの到着を予想した。しかし、状況が掴めない中島は野村たちのことが心配であり、急いで助けに行きたかった。

 焦る気持ちを抑えながらSAT隊員は再び動き出した。彼は防がれることを念頭に置きながらも左拳を素早く突出し、中年男は後ろに下がって攻撃を避けた。そして、後退した勢いを利用して右前蹴りを放った。

 蹴りが放たれるや否や、中島は素早く斜め右へ踏み出して相手との距離を縮める。その際に彼の横を佐藤の右蹴りが通り過ぎ、距離が近づくと中年男の顔に恐怖が広がった。

 佐藤は咄嗟に左肘を繰り出して接近してくる中島の顔面を殴ろうとしたが、SAT隊員はそれを右手で難なく防御した。そして、それとほぼ同時に彼は左手を突き出して中年男の右肩を掴み、相手を手前に引きながら突き上げるように左膝を佐藤の腹部に叩き込んだ。

 腹部を襲った激痛に耐えきれず、中年男は身を丸めて歯を食いしばって呻いた。しかし、中島は攻撃の手を止めようとはしない。SAT隊員は痛みと戦っている相手の首筋に向けて、左肘を振り下ろそうと左腕を上げた。

 その時、首筋に悪寒を感じた佐藤は思い切って中島にタックルした。突然の攻撃にSAT隊員はバランスを崩し、体勢を立て直そうと後ずさりながら中年男の上着を掴もうと動く。しかし、その直前に佐藤は両手で中島を突き飛ばして距離を開けた。勝ち目のない戦いだと判断した故の行動であった。二人の距離が開くと、中年男は腹部を抑えながら急いで部屋から廊下に飛び出した。

 素早く体勢を整えたSAT隊員が逃亡した男を追うために走り出すと、唾を吐くような音と金属が擦れる音が廊下から聞こえてきた。その後、中年男の呻き声と重たい何かが落ちる音を耳にした。彼は急いで自分の拳銃を拾い、遊底を引いて薬室に閉じ込められていた空薬莢を吐き出させた。中島は拳銃を構えながら素早く、そして、静かにドア枠の左横に移動して廊下の様子を確認した。SAT隊員が目にしたのは床に倒れて呻いている中年男の姿であり、その他には何も見えない。

 別方向の安全確認のため、中島は右手に握った拳銃を胸の辺りで構えると、素早くドア枠から顔を出し、脅威の有無を確認するなりすぐに室内に顔を戻した。一瞬のことであったので、人影しか見ることができなかったが、それで十分だった。SAT隊員は拳銃をホルスターに収め、両手を上げて廊下に出た。









 大多和と6人のSAT隊員が黒煙と焦げ臭さの漂う道路を通って、小型バスによって壊された正面玄関へ向かった。グランドホテルの上空では北海道警察とマスコミ各社のヘリが爆音を周囲に撒き散らしながら現場の様子を見守っており、地上の方は警察が黄色い規制線を張って被害の拡大を減らそうとしていた。それでも守谷たちは、その規制線の一つを突破して西野を攫いにやってきた。銃声や爆発音が単発的に人々の耳に入ってくるため、現場にはまだ緊張が走っている。

 黒田の命令を受けた大多和たちがホテルの車寄せに近づくと、座り込んでいる二人のSAT隊員を発見した。

 「大丈夫か?」二人に近づきながら大多和が尋ねた。

 「俺たちは…なんとか…」被弾した左腕を右手で抑えた藤田が消え入りそうな声で応えた。彼の隣にはうな垂れている近藤がいた。二人は他の隊員が全員死んだと思っている。

 「西野たちを見たか?」と大多和。

 「いえ…」藤田が首を横に振った。

 「すぐに救護班も来る。ここで待機しててくれ。」

 大多和と6人のSAT隊員は、テロリストによって破壊された正面ドアを通ってホテル内に進入した。まず始めに彼らの目に飛び込んできた物は突入に使用された小型バスだった。砕けた窓ガラスとドア枠の金属片が床に飛び散っており、奥に進んで行くと焦げや血が付着した破片があった。そして、さらに進んで行くと血の海を作る多くの死体を発見した。

 凄惨な光景を見た大多和は唇をきつく閉じ、湧き上がってくる恐怖心と戦った。彼の後ろにいたSAT隊員たちも現実離れした光景に怯んでいたが、それと同時にこのような行為をしたテロリストに怒りを覚えた。

 彼らは死体を踏まないように前進したが、目指している大ホールへ続くエスカレーターは両方とも死体で埋め尽くされていた。

 “許してくれ…”

 周辺を警戒しながら、できるだけ死体を踏まないように2階の大ホールに辿り着くと、再び血の海で横たわる多くの死体を発見した。何人かはまだ生きており、呻き声や助けを求める低い声が大多和たちの耳に届いた。ネズミ取りの捜査官は二人のSAT隊員に生存者の応急手当てを頼み、残りの4人を連れて大ホールに入った。

 引っくり返ったテーブルと椅子などで散らかったホールに入ると、大多和の目に懐かしい人物の顔が映った。

 「小木!」

 名前を呼ばれた小木が広瀬の死体から頭を上げて周囲を見渡した。

 同僚との距離が縮まるに連れて大多和は、彼の側に横たわる生気を失った広瀬と座り込んでいるパンツスーツ姿の女性の存在に気付いた。

 「西野は?」小木の前に来るなり大多和が尋ねた。

 「テロリストを追いに行った。」西野と荒井が走っていた方を指差して小木が言った。

 「広瀬さんは…?」

 「死んだよ…」小木の目は広瀬の死体に釘づけであった。

 「そうか…」そう言うと大多和は先輩捜査官の死体をしばらく見つめた。「俺は西野を追う。応援が来るまで、ここで待機してくれ。」

 「わかったよ…」

 「すぐ戻る…」小木の肩を軽く叩いて励ますと、大多和と4人のSAT隊員は西野たちが向かった方へ走り出した。








 狭い小道を縫うように白い2台のバンが進み、その後を黒い軽自動車が追っている。

 小道を抜けると、規制線と4人の制服警官が3台の行く手を阻んだ。しかし、テロリストたちの乗るバンは気にせず規制線を突破し、その際にバンを止めようとした制服警官2人が轢かれて道路脇に弾き飛ばされた。

 新村は規制線の直前に車の速度を落とし、「退いてください」と叫びながら制服警官たちに道を開けるよう左手を振った。彼女の声は届いていなかったが、轢かれた仲間を見た警官たちは軽自動車の接近を見るなり道路脇へ急いで避難した。二人の捜査官を乗せた軽自動車は規制線を越えると、加速して西野を連れ去った白いバンの後を追った。

 3台の車が小樽運河沿いの片側2車線の道路に入った。野村は助手席から身を乗り出し、短機関銃を構えると11メートル先を走る白いバンに向けて発砲した。狙いは後輪であったが、角度の悪さと手の震えでバンの車体と道路に銃弾が当たった。

 「距離を詰めろッ!」野村が運転席にいる新村に向けて言った。

 女性捜査官がアクセルを踏み込み、それと同時にバンの斜め後ろへ車を移動させた。

 銃撃を受けた白いバンの運転手はサイドミラーで追跡者の姿を確認すると、ルームミラー越しに後部座席にいる守谷を見る。「金魚の糞みたいに付いて来る車がいます。」

 「余興にはなるだろう…」守谷がニヤリと笑って言った。

 大男の中田が足元に置いていたロケットランチャーを持ち上げ、バンの後ろドアに手を伸ばそうとした時、額に切り傷を持つ男がそれを制した。

 「それは議員のために残して置け。こっちの方が面白いと思うぞ。」守谷は足元の鞄から手榴弾を取り出した。

 中田が小さく頷いてバンの後ろドアを開けると、守谷は手榴弾の安全ピンを抜いて外へ放り投げた。深緑色の球体は地面に音を立てて落ち、惰性で勢い良く後方へ転がって行った。

 テロリストの動きを見た野村は急いで助手席に戻り、ハンドルを左に切った。軽乗用車は縁石を乗り越えて歩道に乗り上げ、その直後に手榴弾が爆発した。ハンドルを切って逃げていなければ、手榴弾は車の真下で破裂していた。

 「上手く逃げたな…」守谷が再び手榴弾を取り出して安全ピンを外して歩道の方へ投げた。

 一方、新村は再び道路へ戻るためにハンドルを操作し、野村はテロリストたちの動きに注視した。

 「手榴弾に気を付けろ!」バンから目を離さずに野村が言った。しかし、彼は2つ目の手榴弾の存在に気付けなかった。

 「分かりました。」新村が再びアクセルを勢い良く踏み込む。

 その時、歩道で2つ目の手榴弾が爆発し、その破裂で生じたアスファルトの破片が黒い軽自動車の車体に降り注いだ。

 「クソッ!!」野村が悪態をついた。

 守谷は再び手榴弾を道路へ放り投げた。しかし、今度は間を開けずに次の爆弾を道路へ放った。1つ目のグレネードが軽自動車の2メートル手前で爆発し、その際に爆風と破片を浴びた軽自動車はバランスを崩して、新村はハンドルを握る手に力を入れなければならなかった。2つ目の手榴弾が爆発する寸前に野村は、ハンドルに右手をかけて左へ切って再び歩道へ逃げた。

 間一髪で手榴弾の上を通過することは免れたが、車体の右横に強烈な爆風を浴びた。車内にいる二人の捜査官は無傷であったが、軽自動車の方は爆風と破片の影響で車体は塗装も剥げた上に凸凹になっていた。窓も手榴弾とアスファルトの破片によって所々傷が付いている。

 「しぶといな…」歩道へ逃げた軽自動車を見て守谷が言った。彼は最後の手榴弾を鞄から取り出し、中田の方を向く。「車を撃て。」

 大男の中田はインサス(注:別記はINSAS [新インド小火器システム、Indian New Small Arms System])のアサルトライフルを構えると、歩道から道路に戻ってきた軽自動車に向けて発砲した。

 「頭を下げろッ!」新村にそう言うと、野村は怯まず助手席から身を乗り出して応射した。彼が予想した通りに中田は新村に狙いを定めており、銃弾は運転席側の窓に集中していた。白いバンは銃撃を受けると蛇行運転を始め、野村の銃撃を避けようとした。

 フロントガラスを突き破って頭上を通過する弾丸に恐怖した新村は、アクセルを踏む勢いを落とし、守谷たちとの距離が開き始めた。

 「加速しろッ!!」バンになるテロリストに向けて発砲する野村が怒鳴った。しかし、新村はアクセルを踏むことができなかった。

 「潮時だな…」守谷が手榴弾の安全ピンを抜き、軽自動車との距離が開き過ぎる前に手榴弾を落すようにして外へ投げた。








 「つまり、我々の中にテロリストの協力者がいると?」椅子の背もたれに寄りかかっていた黒田が尋ねた。

 「そうです。」水谷が真剣な眼差しで上司を見つめた。

 “広瀬も似た様なことを言っていたな…”目の前に座る分析から目を逸らさず、黒田は数時間前にした広瀬との会話を思い出した。“しかし、アイツは西野と共に消えた。”

 水谷を内通者だと思っていたネズミ取りの支局長は、分析官からの自白を予期していたが、目の前の男も「内通者の存在」を仄めかしてきた。直感で“モグラ”の存在を疑う広瀬とは違い、分析官の水谷は内通者の存在を疑う具体的な証拠を列挙した。しかし、どれだけ具体的なことを言われても黒田は信じられなかった。彼は水谷が自分の疑いを晴らすために嘘をついていると思ったのだ。

 “泳がせてみるか…”

 「すぐに戻る。」ネズミ取りの支局長が拘束室を出て、隣の部屋に入った。その部屋からマジックミラー越しに拘束されている水谷を見ることができる。黒田は部屋にあったノートパソコンを起動させ、自分のアクセスコードを使ってスパイウェアをインストールした。彼は一度電源を切って、ノートパソコンを水谷のところへ持って行った。

 「お前の言う証拠を見せてくれ。」黒いノートパソコンを分析官の前に置いて黒田が言った。

 「分かりました。」

 水谷がパソコンを起動させて作業に取り掛かり、ネズミ取りの支局長はその様子を椅子に座って見守った。事前に仕掛けたスパイウェアによって、水谷の動きは黒田のパソコンに転送される。目の前にいる分析官が裏切り者かどうか、それである程度の事が分かると黒田は思った。

 その時、拘束室のドアが開いて奥村が入って来た。「お話しがあります。」

 “いいタイミングだ。”と黒田は思った。彼が部屋を後にすれば、水谷が何かしらの行動に出る可能性がある。

 「どうした?」ネズミ取りの支局長は奥村と一緒に部屋を出た。

 「小田議員とその家族の避難が完了しました。議員は現場付近の警察署で休んでいて、家族もすぐ同じ場所に到着するそうです。」

 部下からの報告を聞いて黒田は胸を撫で下ろした。「無事で何よりだ。それで西野たちは?」

 「まだ確定した情報ではないのですが…」自信が無いためか、奥村の声が小さくなった。「現場にいたSAT隊員によると、西野さん、広瀬さん、小木さんはテロリストと交戦していたようです。」

 “また面倒くさいことになったな…”心の中で黒田が呟いた。“アイツらはテロリスト側ではないのか?”
 
 「そうか…新しい情報が入ったら、また報告してくれ。」

 「分かりました。」奥村が自分の机に戻るために走り出した。

 「奥村ッ!」黒田が部下を呼び止め、急いで駆け寄った。「過去24時間の水谷の行動を調べてくれないか?」

 「でも…」

 「忙しいと思うが、急ぎで頼む。」
 







 「お邪魔でしたか?」藤木が笑みを浮かべながら尋ねた。彼の隣には小柄の女性が立っており、彼女の右手には消音器が取り付けられたUSP拳銃が握られている。

 「議員の近くにいた方がいいじゃないのか?」挙げていた両手を下げて中島が言った。

 「議員はもう安全な場所に移動しましたし、私は“彼”に用があるので…」藤木が這って逃げようとしている中年男を指差した。

 「俺もアイツに用がある?」と中島。

 「何故です?」藤木は中島の意図を理解しながらも尋ねた。

 「アイツの仲間に会いたいのさ。」

 「前にも言いましたが、あなたはこの件から―」

 「分かってるさ…」SAT隊員が藤木を遮った。「でも、こんな機会を逃すなんてことはできねぇよ。」

 元公安警察の男は中島に同情しており、もし自分が同じ状況に立たされれば、同じく復讐を考えるだろうと思っている。

 「気持ちは分かりますが、危険なことですよ。特に何所に敵がいるか分からない状況下では…」

 「だから、あの男に聞くのさ。」逃げようとする佐藤に歩み寄りながら中島が言った。

 「テロリストの居所の話しじゃないですよ。私が言っているのは、ネズミ取りの中にいる内通者のことです。」

 抵抗する佐藤の右手首を掴んで時計周りに捻り上げると、SAT隊員はすぐしゃがみ込んで中年男の右腕を相手の背中に押し当て、素早く左腕を掴んでテロリストの両腕を後ろで固定した。

 「何か縛る物はあるか?」と中島。

 すると、藤木の隣にいた小川がSAT隊員に近づき、上着の下から結束バンドを3本取り出して手渡した。

 「ありがと。」中島は手慣れた手つきで佐藤の両手首を縛り上げ、次に残りの2本で中年男の左右の膝上をきつく縛り上げた。小川が佐藤の両脚のふくらはぎを撃ったので、出血している箇所の上を閉めて止血を試みたのだ。「それで…その内通者ってのは誰なんだ?」

 「それが分かれば、苦労しないですよ。だから、私は小川ちゃんと二人で密かに行動してるんですから…」

 「目星は?」立ち上がって中島が問い掛けた。

 「付いてますが…知りたいんですか?」

 SAT隊員は黙って藤木を見つめた。元公安の男は顔に浮かべた笑みを崩さなかったが、一度、俯いて再び中島を見た。

 「野村信一と水谷洋平です。」

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