返報 13-6 [返報]

13-6







 三須に付き添われてトイレから戻ってきた西野は、水で満たされたバケツに携帯電話を放り込む複数の男女を目撃した。

 「あれは?」三浦の死からまだ立ち直れていない西野が三須に尋ねた。

 「準備だよ。計画が早まってね…」

 この言葉に西野は驚き、心臓が激しく動悸した。

 「早まった?」

 「君も見ただろ?あのネズミのせいで、先生が計画を明日の夜に早めたのさ。」

 “大原さんに知らせないと…”

 西野がそう思っていると、守谷が近づいてきた。

 「お前の携帯もバケツに入れろ。」

 「SIMカードを抜いてもいいか?大事な連絡先が―」

 「連絡先なんてどうでもいい。ぶつぶつ言ってないで、早くしろ!」

 守谷に怒鳴られて潜入捜査官は渋々スマートフォンを上着のポケットから取り出し、それをバケツに満たれた水の中へ落とした。沈んで行く携帯電話を見つめていると、三須が西野の左肩に手を置いて潜入捜査官に微笑みかけた。

 「何事にも犠牲は付き物だよ、小林くん。それにデータなら、あとで簡単に修復できる。」

 三須の慰めを聞いても西野は何も言わなかった。彼は連絡係との緊急連絡先を思い出すのに必死だった。始まりと終わりの数字は憶えているが、真ん中2桁の数字が思い出せないのだ。

 「先生が来たぞ。」守谷が三須と西野に呼びかけた。

 「菊地先生に会うのは初めてだったよね?」三須が西野に訊く。

 「はい…」潜入捜査官はまだ電話番号を思い出そうとしている。

 「緊張しなくても大丈夫さ。」西野の表情を見て三須が言った。「先生はとてもいい人だよ…」








 潜入捜査官からの連絡が途絶えて二人の連絡係は動揺し、机に置いている携帯電話を凝視することしかできなかった。

 「正体がバレたのか…?」三浦の連絡係である山中が呟いた。

 「いや…」大原が首を横に振る。「45分前までは西野と連絡が取れていた。」

 「その後に捕まったかもしれないだろ!」山中が声を荒げた。

 「分からない。もう少し待ってみよう。」

 「係長に連絡した方が良さそうだ。問題が大きくなる前にしないと…」三浦の連絡係は頻りに体を震わせていた。

 大原は同僚の状態の方が心配だった。

 「もう一度、西野の位置情報を確認してみないか?」と山中。

 「無駄だと思うが…」

 「やってみる価値はあるだろ?」

 「わかったよ…」大原がスラックスのポケットからスマートフォンを出した。








 学生たちは半円を描くようにして菊池信弘を取り囲み、大学教授の言葉に耳を傾けていた。

 「これから6つのグループに分かれてもらい、それぞれ別々の場所で車を借りてもらう。」

 「目的地は何所ですか?」と学生の一人が尋ねた。

 「埼玉県の入間市だ。」守谷が菊池の代わりに答える。

 「何故、早まったんですか?」別の学生が菊池に向かって訊く。

 「準備は既に整っていた。そして、もう待つ必要は無いと思ったからだよ。」大学教授は三浦の件を言わなかった。学生たちが警察の潜入捜査を知れば士気が下がると思ったのだ。「詳細は後でGメールの下書きに書き込んでおくので、各自で確認して欲しい。」

 “Gメールの下書き?”西野はその存在を知らされていなかった。

 彼がメールアカウントの存在に疑問を持っていると、三須が黒いゴルフバッグ2つを菊池のいる机の前に置いた。

 「各グループに同じゴルフバッグを2つずつ持って行ってもらう。一つには普通のゴルフグラブ、もう一つには武器と簡単な銃器の取扱説明書が入っている。」菊池がゴルフバッグを指差しながら説明する。「私からは以上だ。健闘を祈る…」

 大学教授がその場を後にすると、三須が菊池のいた場所に立った。

 「これから少額だが、活動資金を渡す。それで乗り物を借りるんだ。」上着の内ポケットから三須が6つの封筒を取り出して机の上に並べた。「それから無線機も提供する。周波数はGメールを確認してくれ。」

 「Gメールのアカウントを知らないんですが…」と西野が声を上げた。

 「すぐに教えるよ。」と三須。








 大原がスマートフォンから顔を上げ、答えを待っている同僚を見た。

 「ダメだ。全く反応がない。もしかしたら、電源を切ってるかもしれない。」

 「やはり捕まったか…」冷や汗を額に浮かべている山中が言う。
 
 「分からない。それに三浦の安否だってまだ―」

 「三浦は捕まったさ!あの連絡は救助要請だった!三浦は捕まって殺されたに違いないッ!そして、彼が西野のことも話せば、西野も捕まって殺される…」

 山中の叫びに大原は動揺した。“ありえるな…”

 「係長に連絡して三浦と西野が言っていた連中の拠点に乗り込もう。そうすれば、十分な証拠も掴めるはずだ!」

 “できれば避けたいことだが…”

 「分かった。係長に連絡して連中を捕まえるか…」大原が再び携帯電話に目を戻し、番号を入力し始めた。








 6つのグループが編成され、西野は『野坂』という男が率いるグループに入った。この班には他に『小出』、『糸井』、『大久保』の三人がおり、彼らは西野と野坂同様に京都大学に所属している学生であった。

 潜入捜査官は隙を見て連絡係の大原に電話しようとバケツから携帯電話を取り出したが、それは既に壊れていた。彼は静かにそれをバケツに戻し、自分のグループへ急いだ。

 「糸井が車を借りに行った。アイツが戻るまで俺たちは待機だ。」坊主頭の小出が言った。彼は今日のために髪を切った。この男にとって散髪は気を引き締めるための行為なのである。

 「他のグループは?」周囲を見渡して西野が尋ねる。

 「それぞれ車を探しに行ったよ。同じ場所にいても怪しまれるだけだし…」大久保がスマートフォンを見ながら言った。

 「そう言えば…あの男は…どうなったんだ?」恐る恐る潜入捜査官が訊いた。

 「あの男?」と小出。

 「守谷さんに始末された奴か?」大久保が西野を見る。「アイツは女がいる場所に連れて行かれたよ。自殺したように見せるらしい。」

 “女…?”西野は何のことだか分からなかった。

 「あの男の他に誰か殺されたのか?」潜入捜査官が大久保に尋ねた。

 「何も知らないんだな…高橋って男は警察のイヌで、それの元締めが女警察官だったんだ。」

 “彼の連絡係は男性だったはず…殺された女性は何者だ?”

 西野は詳細な情報が欲しかったが、これ以上の詮索は疑惑を生むと考えて口を噤んだ。








 二人組の男は視線だけ周囲に配って警戒しながら10メートル先にある建物の裏口に近づいた。男たちは共に黒いスーツ姿でその下に白いシャツを着用し、ネクタイはしていない。

 彼らは裏口の横に立つと上着のボタンを外し、右裾を後ろへ押しながら腰のホルスターに触れた。そして、拳銃の銃把を掴んで静かに引き抜き、次に左手で上着の左ポケットに入れていた短い消音機を取って銃口に捻じ込んだ。

 「配置に着いたか?」男たちの右耳に差し込まれているイヤフォンから大原の声が聞こえてきた。

 「甲班、配置に着いた。」黒いUSP拳銃を腰に押し当てて待機している七三分けの髪型の男が応えた。拳銃とスーツの色が同色なので、遠くから見れば彼が銃を持っているとは分からない。

 「乙班、こちらも配置に着いた。」別の班の声がイヤフォンを通して聞こえてきた。こちらの班は正面入り口の付近にいる。

 「できれば発砲するな。三浦と西野の保護が優先だ。」

 「了解。」

 そう言うと、七三分けの髪型をした男が後ろを振り返った。彼は左手を顔の横に置いて指を三本立てた。男の後ろにいた眉毛の太い同僚はUSPの撃鉄を下ろしてカウントを見守った。

 3…2…1…

 ドアノブを回して先頭に立つ男が室内に侵入した。両脇をしっかり締めて銃を小さく構える二人は壁沿いに移動し、ドアがあると静かに素早く室内を確認して前進した。しかし、全く人気がない。室内には塩素の強い匂いが漂っている。

 進んで行くと二人は乙班と合流した。合流後、前進を続けると異臭が彼らの鼻を突いた。西野と三浦を探しに来た公安機動捜査隊のメンバーは異臭の発生源を求めて地下室へと進んだ。道中で彼らは強い消毒液の臭いを嗅いで咽そうになり、地下室のドアを開ける時には目に涙が溜まっていた。

 ドアの向こう側には首を吊った男性と血の海の中で倒れる女性の遺体があった。

 急いで七三分けの髪型の男が首吊り遺体の顔を懐中電灯で照らして確認する。顔が酷く腫れ上がっていたが、男は写真の顔を記憶していたので、それが保護対象者であることに気付いた。

 “遅かったか…”

 すると、眉毛の太い男が折り畳みナイフを取り出して三浦の首を圧迫している縄を切った。すぐに七三分けの髪型の男が三浦の死体をしっかりと掴んで静かに床に寝かせる。

 一方、乙班は三浦の交際相手であった高橋恭子の顔写真を取って大原に送信した。彼らは彼女の存在を知らなかったので、高橋がテロリストの仲間かと思った。

 「三浦大樹の遺体を確認。また、身元不明の女性の遺体も発見しました。」七三分けの男が大原に報告する。

 報告を受けて大原は言葉を失った。“やはり死んでいたか…”

 「零、聞こえていますか?」七三分けの男が尋ねる。大原たちのコードネームは『零』であった。

 「き、聞こえてる…」ようやく大原が口を開いた。「二つの遺体を運び出してくれ。先程の場所で合流しよう。」

 「了解。」








 6時間を超える長距離運転を経た菊池たちのグループは、二手に分かれて埼玉県の入間市と狭山市のビジネスホテルで準備を整えている。

 菊池と行動を共にする三須が大学教授の利用しているツインベッドルームにゴルフバッグを持って入って来た。彼は慎重に縦長の鞄をベッド横に置き、中に入っていた長い布をベッドの上に敷く。続けて三須は鞄の中から武器を取り出して、ベッドに敷いた布の上に並べ始めた。

 「私の分はいらないよ。」菊池がテレビの電源を入れて言った。これは銃器の可動テスト音を少しでも消すためであった。

 「しかし、拳銃だけでも―」

 「いらないよ。」

 これ以上言っても無駄だと思った三須は口を閉じて黙々と弾倉の込められていない武器を布の上に並べる作業を続けた。そして、全ての武器を並び終えた頃に行動を共にする4人の学生が二人のいる部屋に来た。彼らはベッドの上にきちんと並べられている武器を見て胸を高鳴らせた。

 “遂にこの時が来たんだ!”

 学生たちは割り当てられた銃器を手に取って動作の確認作業を行う。遊底を何度か引いたり、引き金を絞ったり、空の弾倉を出し入れするのが主な確認であり、分解して掃除をするようなことはしなかった。

 この作業を終えると彼らは空の弾倉に銃弾を詰め込み始めた。ロシア製のマカロフ拳銃を模した北朝鮮製の拳銃のように装弾数の少ない物であれば、比較的簡単に銃弾を詰め込める。しかし、AK-47を模造した中国製の56式自動歩槍やフィリピンで密造されたUZIのコピー品などはそう簡単に弾を込めることはできない。弾倉内のバネが強力なので、詰め込み作業中に右親指が赤くなって手を休める学生も多かった。

 武装の準備は他のホテルでも行われており、西野も共に行動する4人の男と弾倉に銃弾を詰め込んでいた。西野以外の男たちは短機関銃または突撃銃を求め、潜入捜査官は残っていたマカロフ拳銃を模した北朝鮮製の拳銃をあてがわれた。

 その後、準備作業を終えた学生たちはそれぞれの部屋に戻って眠ることにした。しかし、彼らは遠足前夜の子供のように緊張して眠ることができず、スマートフォンでGメールに書かれている計画書に何度も目を通した。

 西野はこれが最後の機会だと思い、室内に備え付けられていた電話で連絡役の大原に電話しようとした。大原の電話番号を頭の中で復唱しながら受話器に手を伸ばすと着信音が鳴り、潜入捜査官は驚いて伸ばしていた右手を引っ込めた。突然のことに西野は驚いて固まってしまったが、すぐに受話器を取り上げた。

 「もしもし?」と西野。

 「小林くんかい?」

 電話は三須からであった。彼は西野が所属するグループの野坂からメンバーの部屋番号を聞いており、各グループのリーダーたちと最後の会話も終えていた。

 「はい。どうしました?」

 「少し話せるかな?今、君のいるホテルのロビーにいるんだ。」

 「今から行きます…」そう言って西野は電話を切った。








 その頃、2台の白いバンが入間市に到着した。1台は守谷が運転しており、もう1台は中田という男が運転していた。それぞれ別のルートを使い、そして、予約した別々のホテルの地下駐車場にバンを停車させた。

 バンの積荷は硝安油剤爆薬ことアンホ爆薬であった。爆弾はプラスチック製の30Lサイズのドラム容器に入れられており、それは食器などの家庭用品が収められた段ボールの下に隠すように積まれていた。無関係な段ボールを積んだ理由は引っ越し業者と偽るためである。各バンに積まれている爆薬の数は10個、合計で20個である。三須と守谷はこれだけあれば、撹乱と防護柵の破壊ができると思っていた。

 目的地に到着すると、守谷と中田はチェックインを済ませて仮眠を取ることにした。








 「そんなに驚かなくてもいいだろ?」笑みを浮かべて三須が言った。

 西野と三須は潜入捜査官が宿泊するホテルの周辺を歩いている。三浦の一件から守谷は疑心暗鬼になっており、小林と名乗る男も警察が送り込んできたスパイだと思っていた。ゆえに彼は西野の動向を探るよう三須に頼んだ。

 大学院生は何度か角を曲がったり、カーブミラーを使ったりして不審人物を探したが、彼の注意を引くような発見は無かった。

 「ただ格納庫まで走り、先生たちと合流する。君のグループ仲間は囮だ。言うなら、磁石。彼らが注意を引いてる間に格納庫へ行く…驚くことはないだろ?」

 「彼らを見捨てろと?」西野が三須の横顔を凝視する。

 すると、三須が鼻で笑った。「そうじゃないよ。彼らの犠牲は必要不可欠ことだ…彼らは英雄になるんだ。そして、君もね…」

 「でも…」

 「心配いらないよ。小林くんは自分の心配だけすれば良いんだ。」

 しばらく二人は黙ったままホテルの周りを歩き、尾行確認を終えた三須は西野とホテル前まで移動した。

 「それじゃ…」大学院生が右手を上げて別れを告げ、背中を西野に見せた。

 「三須さん!」

 潜入捜査官が呼び止め、三須が振り返る。

 「絶対にやらなきゃならないことなんですか?」西野の声は震えていた。恐怖というよりも、それは怒りによって引き起こされた震えであった。

 三須は数秒間、西野の双眸を見つめた。大学院生の目には何の感情も浮かんでおらず、ただ潜入捜査官の正義感に燃える目を見るだけで何も言わなかった。西野が再び問い掛けようとした時、三須が右口角を少し上げて頭を縦に振った。そして、大学院生は自分の宿泊しているホテルへ戻って行った。
 
 西野は急いでホテルへ戻り、ロビーにあった公衆電話まで走った。財布から10円を取り出して暗記した大原の電話番号を入力する。周囲に目を配りながら潜入捜査官は受話器から聞こえてくる呼び出し音に耳を傾けた。機械音が永遠とも思えるほど西野の右耳に響き、急ぐ彼は左手人差し指で何度も灰色の公衆電話の頭を叩いた。ようやく「カチッ」という音が聞こえ、次に大原の声がした。
 
 「もしもし?」
 
 「大原さんですか?」西野が問い掛ける。
 
 これには大原も驚いた。「西野か?何所にいる?何があった?」
 
 「今、埼玉の入間にいます。携帯電話が―」
 
 「何やってんだ、小林?」

 話しに夢中になっていた潜入捜査官は周辺警戒を怠っていたため、背後から近づいてくる男の存在に気付けなかった。後ろを振り向くと、大量のお菓子と数本の1.8Lの炭酸飲料の入った買い物袋を持つ小出が見えた。西野は焦って受話器を元の位置に戻し、買い物帰りに見える仲間の方へ体を向ける。

 「母親に電話してたんだ。親父が入院してるから…」西野が適当な嘘を述べた。

 「そうか。大変だな…」小出はあまり西野の行動を気にしていなかった。「ちょうどいい。みんな、眠れそうにないから野坂さんの部屋にこれから集まるんだけど来る?菓子もあるよ。」坊主頭の小出が買い物袋を持ち上げて西野に見せた。

 「行くよ。」潜入捜査官は動揺を隠しながら言った。

 「みんな待ってるから急ごう。」








 “埼玉?入間?携帯?”

 大原は西野から聞きたい事が山ほどあったが、潜入捜査官からの電話は途中で切られてしまった。彼にとって西野から連絡は吉報であった。西野はまだ生きており、埼玉の入間市にいる。声のトーンから急いでいる感じはあったが、怯えている様子は感じられなかった。つまり、西野の偽IDはまだ有効である可能性が高い。

 「西野は何と?」山中が尋ねた。

 「埼玉の入間にいると言っていた…」大原が携帯電話を机に置く。

 「急いで行こう。まだ機捜の奴らもいる。」

 「だな…」








 深夜2時8分28秒。

 小熊が率いるチームは航空自衛隊入間基地の正門、『道上』という男のグループは稲荷山門の近くに車を停めて来たる時を待っていた。

 “あと2分…”

 それぞれが携帯電話で時刻の確認をして胸を高鳴らせ、銃把を握る手に力を入れた。

 2時9分00秒。

 小熊と道上が合図を出さなくても、学生たちは装備を持って車から降りた。各グループに所属する運転手はギアをニュートラルに入れてから車を降り、シートベルトでハンドルを固定すると座席の下に置いていた耐火煉瓦を手に取った。彼らのグループが持つ車はセダンタイプであって奇襲向きではない。しかし、彼らに別の車を用意する暇はなかった。

 2時9分37秒。

 各グループの運転手が再び車のギアをドライブに入れ、乗用車がゆっくりと進み始める。すると、運転手は車のドアを左手で抑えながら、重さ3.7kgの煉瓦を恐る恐るアクセルペダルの上に落とすようにして置いた。煉瓦の重さでペダルが押され、乗用車は加速して入間基地の門目がけて走り出した。

 2台の乗用車は別々の場所でほぼ同じタイミングで走り出し、風圧によって運転席側のドアが閉まる。これを見た小熊と道上を除く学生たちはポケットに入れていた手榴弾の安全ピンを抜き、乗用車が目的のゲートに激突すると手榴弾を車へ放り投げた。

 そして、手榴弾が投げられると同時に小熊と道上は発煙筒を着火させ、門に激突して動けなくなっている車の方へ飛ばした。手榴弾の破裂と同時に発煙筒が車の上に落ち、乗用車のトランクに積まれていたアンホ爆薬が爆発した。
 







 2時10分17秒。
 
 滑走路に面した道路で待機していた4つのグループが爆発音を耳にした。

 各グループは約70mの間隔を開けて待機しており、爆発音を聞くと一斉に学生たちは運転手を残して車から飛び出した。彼らの手には銃が握られており、外に出るなり遊底を引いて初弾を薬室に送った。

 一方、残された運転手はギアをニュートラルからドライブに入れてアクセルペダルを勢い良く踏み込んだ。4台の車は基地と道路の間にある金網フェンスに向かって突撃し、地面に埋まっていたフェンスを弾き飛ばして敷地内に侵入した。

 2時10分59秒。

 学生たちが切り開かれた入り口に向かって走り出した。

 拳銃を右手に持つ三須が仲間の後を追いかけようとした時、菊池に左腕を掴まれた。何事かと大学院生が振り返る。

 「君にはまだやる事がある。」

 そう言うと、菊池信弘はスタンガンを三須の胸に押し当てて電源を入れた。スタンガンからバチバチと電流の流れる音がし、大学院生は体を痙攣させて地面に崩れ落ちた。

 三須は尊敬する大学教授の顔を見上げ、目で「何故ですか?」と訴えかけた。

 「歴史には“証人”が必要なんだよ。」菊池は意識を失いかけている学生の手から銃を奪った。そして、大学教授は背後で待機していた中田という学生の方を向く。

 「三須と君はここから逃げるんだ。全てが終わった時、あの声明文を公開してくれ。」

 菊池の話しを黙って聞いていたプロレスラーのようにがっしりした体格の中田は、頭を縦に振って三須を右肩に担ぐとその場を後にした。








 2時11分00秒。

 爆発音とそれに続いて生じた銃声を聞いた自衛隊たちが応戦に出た時、西野の所属するグループが大久保の運転する車によって切り開かれた入り口に向かって走り出した。

 戦う気のない西野は拳銃をベルトに差し込んで仲間の後を追い、どのようにして彼らを止めようか考えていた。

 金網フェンスから10m程離れた場所で大久保が車を停め、走ってくる仲間と合流する。

 「発煙筒は?」長身の野坂が大久保に尋ねた。

 「お前が持ってんじゃねぇのか?」目を大きく開いて茶髪の大久保が問い返した。

 「持ってはいるが…」

 「じゃ、問題ないだろ!」

 野坂は大久保の態度が気に入らなかったが、ここで彼と争う気はないので渋々ショルダーバッグから発煙筒を取り出した。

 その時、彼らの顔を眩い光が襲った。

 「そこで何をしてる?」光の方向から声が聞こえてきた。

 西野たち5人が顔を照らす光を手で遮りながら、声の主を確認する。そこには懐中電灯と自動小銃を持つ自衛隊員が1人いた。自動小銃の銃口はまだ下に向けられており、西野たちをまだ脅威とは認識していない。

 しかし、襲撃者たちは違った。パニックに陥った小出は雄叫びを上げながら持っていたAK-47の模造銃を腰で構え、銃口を自衛隊に向けると引き金を絞った。

 異変に気付いた自衛隊は懐中電灯を落して地面に伏せ、素早く右へ回転して銃弾から逃れようと動いた。本物のカラシニコフ自動小銃に似た乾いた断続的な銃声と共に無数の銃弾が発射され、狙っていた隊員がいた場所の空気を切り裂いた。

 小出は銃が弾倉を食い潰すまで引き金を引き続け、標的が移動しても同じところばかり撃っていた。だが、他のメンバーはそれぞれ銃を構えて自衛隊員の後を追うようにして発砲した。

 数発が移動する隊員の腕や脚をかすめ、4発が防弾ベストに命中した。ここまでは致命傷に至るダメージを受けなかったが、彼が立ち上がろうとした時に再装填を終えた小出の自動小銃が再び火を噴いた。銃弾が右の腕と肩に命中して自衛隊員は突き飛ばされたように地面に叩きつけられた。

 止めを刺す機会であったが、西野を除く全員弾切れであった。彼らは急いで新しい弾倉を銃に入れようと動き始める。

 これを見た潜入捜査官は素早くベルトに差し込んでいた拳銃を抜き取り、手前にいた小出の背中に向けて3度引き金を絞った。反動によって拳銃が跳ね上がり、最後の1発は小出の後頭部を撃ち抜いていた。

 『菊池たちを止める』ことで思考が一杯になっていた西野の咄嗟の行動であった。

 菊池たちの無力化。それが彼の導き出した答えであった。

 背後からの攻撃に野坂、大久保、糸井が驚いて装填の手を止めて振り返った。

 躊躇することなく西野は銃口を小太りの糸井に向け、引き金を絞る。今度は反動を考慮して引き金を2度引いた。

 照星、反動、照星、反動。

 2つの銃弾は糸井の胸を捕らえ、被弾した男は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 突然の裏切りに激怒した大久保が、持っていた短機関銃を投げ捨てて西野に襲い掛かった。潜入捜査官は慌てながらも銃口を大久保に向けて引き金を絞る。初弾は接近する男の左肩をかすめたが、続けて放たれた2発目が彼の顎を、そして、3発目が左頬を捕らえた。怒りに燃えていた大久保は地面に倒れると同時に絶命した。

 ここで西野のマカロフを模して作られた拳銃の遊底が後退し、再装填の必要性を彼に伝えた。西野が予備弾倉に手を伸ばした時、何かが頭上の空気を切り裂いた。ふと顔を上げると、短機関銃を構える野坂が見えた。

 「この裏切り者がッ!」

 長身の男が引き金にかけた指に力を入れると同時に3発の銃声が聞こえ、西野を撃とうとしていた野坂がうつ伏せに倒れた。

 死を覚悟した西野であったが、突然のことに彼は状況が呑み込めなかった。しかし、野坂が倒れたことによって、彼の陰になっていた存在が潜入捜査官の目に映り込んだ。仰向けに倒れた状態で左手に拳銃を持つ自衛隊員がおり、その銃口は西野に向けられている。

 暗がりであったので互いの顔を見ることはできなかったが、西野は自衛隊員の鋭い視線を感じた。そして、潜入捜査官は弾の切れた拳銃を地面へ放り投げた。彼は撃たれても仕方のないところまで来てしまったのだ。

 菊池や三須をもっと早くに止めることもできたかもしれないが、彼は恐ろしくて連絡役に強い進言を行わず、許されるのならば逃げ出したかった。三浦を救う手立てもあったかもしれない。しかし、西野は何もしなかった。

 銃声を期待していた西野であったが、自衛隊員は黙って銃口を潜入捜査官に向けるだけで引き金を絞ろうとしない。彼は迷っていた。西野は敵であるが、自分の命を救ってくれた。しかし、逃がす訳にはいかない。

 多くの血を失った自衛隊員は疲れて銃を持つ左手を下ろした。銃を下ろしてはいけないが、腕が休みを求めていた。

 覚悟できていると思っていても、自衛隊員の動きを見て西野は安堵し、胸を撫で下ろした。

 その時、西野と自衛隊員は金属音を耳にして、音のした方を一斉に見た。そこには右手に手榴弾を持つ野坂がおり、彼は口から血を流しながらも不気味な微笑みを浮かべて潜入捜査官を見つめていた。そして、西野が伏せた瞬間に手榴弾が破裂した。

 奇跡的に潜入捜査官は手榴弾の破片を回避できたが、野坂の血と肉片を浴びた。血を見て西野は同じ潜入捜査官であった三浦のことを思い出し、激しい吐き気に襲われて咽た。

 “クソッタレ…”

 立ち上がって野坂の亡骸を見下ろした西野は心の中で悪態ついた。彼は思い出したように自衛隊員の所へ駆け寄り、この時になってようやく隊員の顔をはっきりと見ることができた。その自衛隊員は西野よりも若く、20または21くらいに見えた。

 若い自衛隊員は自分の右隣で両膝をつく西野を見るなり、左手で潜入捜査官の上着の胸部分を掴んだ。

 「助…けて…」消え入りそうな声で隊員が言った。

 「すぐに助けを呼ぶ。」

 そう言って、立ち上がろうとすると若い隊員が強く西野を引っ張った。

 「行かないで…」

 この時、西野は手榴弾の破片が自衛隊員の守られていない下腹部に刺さって、大量の血が流れていることに気付いた。

 「すぐに戻って来る。だから、ここでじっと―」

 自衛隊員を落ち着かせて助けを呼ぼうとしたが、その前に潜入捜査官は若い隊員の両目から生気が消え、頭がだらりと地面に落ちた。西野は自衛隊員が意識を失っただけだと思い、何度も体を揺すって起こそうとした。しかし、若い隊員が目覚めることはなかった。

 見ず知らずの自衛隊員であったが、西野の胸は悲しみで締め付けられて目に涙が溜まった。潜入捜査官は再び死亡した三浦大樹のことを思い出し、自分の無力さに苛立った。そして、この苛立ちが彼の中に存在していた何かを砕いた。
 
 2時13分24秒。








 2時14分16秒。

 航空自衛隊は小熊と道上たちが思うほど容易に足止めできる存在ではなかった。奇襲であったにも関わらず、彼らは4分足らずで制圧されてしまい、全員死亡した。

 その頃、菊池は守谷のグループと合流して目的の輸送機がある格納庫へ急いでいた。他の生き残っていたグループも同様に格納庫に急いでいたが、彼らは運悪く複数の自衛隊員に遭遇して戦闘し、呆気なく無力化された。ゆえに守谷は時間稼ぎのため、自分のグループメンバー4人を自衛隊員が密集している地域に送り込んだ。

 C-1中型輸送機は暗い格納庫の中で眠っていた。菊池たちは全長29mあるこのターボファンエンジン搭載の機体を探し求めており、これを使って人々を覚醒させようと目論んでいる。

 彼らの計画は実に単純な物であった。輸送機を盗み、それで首都東京へ飛ぶ。

 特に標的などは決めておらず、燃料が切れるまで人口密集地域を飛ぶ考えであった。東京へ行く時もできる限り重要施設や街の上を通り、目的地に着けば飛べなくなるまで旋回を繰り返す。これは菊池と三須で考えた方法であり、輸送機を撃ち落としても、それが東京に落ちても大学教授が無能だと思っている政府に大きなダメージを与えることができる。また、この攻撃によってテロに対する警戒を高めることができると彼は思っていた。

 “詩織とあの事件で亡くなった犠牲者たちのために…”

 学生たちが輸送機の発進準備を始め、菊池はこれから起こることに興奮して両脚を震わせた。

 「先生…」守谷が大学教授の横に並んだ。「他のグループとの交信が途絶えました。つまり…」

 「いいんだ。」菊池は俯いて右手に持つ拳銃を見た。「彼らは英雄だ。歴史がそれを証明する。」

 「そうですね…」

 「そろそろ出発かな?」

 「はい。」

 二人は後部ハッチから輸送機に乗り込み、守谷が見張りとして残した1人にも乗り込むように手招きした。見張りをしていた男が自動小銃を抱えて走り出すと、乗用車が格納庫の裏口を突き破って侵入し、C-1の後部ハッチ左部分に激突して停車した。
 

 突然の出来事に驚いた菊池たちは銃を乗用車に向けて様子を伺う。しかし、車から降りてくる者はいない。彼らが銃を下ろすと同時に銃声が格納庫内に響き、守谷が先に襲撃者の姿を確認した。

 “小林ッ!!”

 額に青筋を浮かべた守谷は持っていたUZI短機関銃の模造銃を西野に向けて引き金を引いた。
断続的な銃声が聞こえ、潜入捜査官は素早く左へ飛んで守谷の射角が逃げた。彼の右手には北朝鮮製の拳銃、左手には亡くなった若い自衛隊員のSIG拳銃が握られている。

 右残弾4。左残弾7。

 慎重に行動しなければ、菊池たちを止めることはできない。

 「出せ!出すんだッ!!」大学教授が操縦席にいる学生たちに向かって叫んだ。

 操縦席と副操縦席にいる学生がマニュアルを見ながら後部ハッチを閉めようとするも、西野が突入に使用した車がそれを妨害していた。仕方なく彼らはハッチを開けたまま飛ぶ決断を下した。

 西野の後を追うように銃弾が床や格納庫の壁に命中し、潜入捜査官は急いで後部左ハッチに激突させた車の陰に飛び込んだ。それと同時に守谷の短機関銃が弾切れとなり、彼は再装填する代わりに隣で呆然としていた見張りからカラシニコフ自動小銃の模造銃を取り上げ、西野が隠れている車に向けて発砲した。

 C-1中型輸送機がゆっくりと滑走路に向かって動き出す。

 潜入捜査官は激しい弾幕に身動きができず、飛行機が動き出すと次第に焦りが生じてきた。

 “逃がすか!”

 自動小銃が火を噴く中、西野は遮蔽物から飛び出して輸送機の中に向けて4度発砲する。両方の拳銃から2発ずつ放たれ、その内の1発が守谷の左腕に命中し、他の3発は輸送機の壁にめり込んだ。

 右残弾2。左残弾5。

 被弾した際に額に小さな切り傷を持つ男は、激痛に抗う事ができず、発砲している銃を左斜め下に下ろしてしまった。この時、1発の銃弾が西野の左腿をかすめ、その部分のジーンズが血で染まる。

 西野は輸送機に飛び乗りながら再び2つの拳銃を発砲し、北朝鮮製のマカロフの弾が切れた。彼が発砲する直前に守谷は急いで伏せ、丸腰であった見張りの胸に潜入捜査官が放った全ての銃弾が命中した。撃たれた男はその衝撃で後ろに倒れた末に息を引き取った。

 右残弾0。左残弾3。

 輸送機が滑走路に入り、加速を開始した。

 “これを止めるには操縦者を撃つしかない。”

 潜入捜査官が拳銃を操縦席に向けた時、守谷が立ち上がって西野を輸送機の壁に叩きつけた。
機内の隅で丸くなっていた菊池は自分も加勢するべきだと思い、拳銃を裏切り者である西野に向ける。しかし、守谷が邪魔で撃てなかった。

 西野を壁に叩きつけると、捜査官は拳銃を落してしまった。素早く守谷は距離を取って自動小銃を西野に向ける。咄嗟に潜入捜査官は自動小銃のハンドガードを下から両手で包み込むように持って銃口を上へ移動させ、それと同時に守谷が引き金を引いて輸送機の天井に複数の穴を開け、そして、弾倉が空になった。守谷は西野を突き飛ばし、自動小銃の銃床で殴り掛かった。

 潜入捜査官は急いで左に逃げて攻撃を回避した。しかし、そこで彼はぎこちなく両手で拳銃を持つ初老の大学教授と対面した。

 菊池は西野に銃口を向け、ゆっくりと引き金を絞った。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。