返報 14-6 (終) [返報]

14-6






 二人のSP に連れられて小田完治は路地に逃げ込んだ。

 目的の空港まで残り2kmだが、襲撃者から逃れるために三人は遠回りすることにした。道中、爆発と銃声を耳にして窓から顔を出したり、携帯電話を持って家の前をうろうろしたりする近隣住民を見た。住民は小田とSPには目もくれず、遠くから聞こえてくるサイレン音を聞きながら、騒音の原因を探ろうとしている。

 人目をできるだけ避けるため、三人は薄暗い路地に入った。しかし、走り続ける小田完治の両脚が悲鳴を上げ、また、息も上がって倒れる寸前であった。

 「く、くる…車は…ない…のか?」か細い声で小田完治が両脇で彼を支えるSPに尋ねた。

 「もうすぐ大きな通りに―」

 小田の右側にいたSPの声を遮るように断続な銃声が聞こえ、議員の左脇を抱えていたSPが呻き声を上げて片膝をついた。彼は腰と臀部に被弾し、白いワイシャツと黒いスラックスに血が滲み始めた。

 もう一人のSPが警護対象者を庇いながら拳銃を抜いて振り返り、短機関銃を持って歩み寄る三須を目撃した。素早く発砲したが、襲撃者の出現に怯えて座り込む小田完治が彼の上着を引いて狙いが左にズレてしまった。胸部に向けて放たれた銃弾は三須の右肩をかすめた。再び引き金を引こうとした時、被弾した仲間が襲撃者に向けて発砲を開始した。

 「ここは任せろッ!」被弾した箇所を気遣いながら片膝をついて銃撃を行うSPが叫んだ。
銃弾を避けるため、三須が電柱の陰に隠れてMP-5Kの再装填を行った。

 「すぐ戻ってくるッ!」議員を立ち上がらせ、もう一人のSPが警護対象者と共に走り出した。

 それを見た三須は邪魔者を排除しようと、発砲してくるSPに10発以上の銃弾を浴びせた。勇敢に時間を稼ごうとしたSPは首と胸に6発の鉛の弾を受け、弾かれたように背中から地面に倒れて息絶えた。死んだSPを横目に三須は逃げた標的を追った。








 左手で特殊警棒の柄を掴み、親指でストラップを弾くと勢い良く警棒をホルスターから引き抜いた。そして、素早くそれを展開させ、中島は伸び切った警棒を後ろへ大きく振った。

 手探りで放った一撃であったが、この攻撃はSAT隊員の首を絞めていた守谷の頭部に直撃した。激しい痛みにテロリストは苦悶の表情を浮かべ、パラシュートコードを引く力が少し弱まった。

 呼吸が少し楽になり、中島が再び警棒を振った。しかし、今回は標的を外してしまった。飛んでくる警棒を見るなり、守谷が身を逸らして回避行動に出た。愚かにも額に切り傷を持つ男は、攻撃を避ける際に左手をパラシュートコードから離した。この瞬間にSAT隊員が振り返りながら、警棒の柄で守谷の左膝横を殴った。守谷が呻き、前屈みの姿勢になる。

 相手に反撃、そして、防御の隙を与えず、中島は警棒を振り上げてテロリストの顎を殴った。予期せぬ下からの攻撃に守谷は姿勢を崩し、右手もパラシュートコードから離して3歩後ろへ下がった。その間にSAT隊員は立ち上がり、首に巻き付いていた紐を取って激痛に目を閉じて悶えているテロリストに投げつけた。

 攻撃を受け過ぎた守谷は投げつけられた紐にまで過剰に反応し、両拳を大きく振って中島を殴ろうとした。しかし、相手は彼の間合いの外にいた。厳密に言えば、腕の届く場所にはいなかった。テロリストの攻撃に怯まず、中島は右前蹴りを守谷の腹部に叩き込んだ。この攻撃は相手の腹部に深く入り、額に切り傷を持つ男の動きが完全に止まった。

 SAT隊員が左上から斜めに警棒を振り下ろして守谷の頭を殴り、その勢いを利用して右上から相手の左膝に向けて振り下ろした。素早く重い打撃を二度も受け、テロリストは両膝を床についた。また、間を置かずに中島の右膝蹴りが守谷の左側頭部に叩き込まれ、守谷は右側にあった壁に頭部を強打した。この時、激しい怒りが額に切り傷を持つ男の中で爆発した。

 守谷は雄叫びを上げ、最後の力を振り絞ってSAT隊員に襲い掛かった。しかし、大声に動じるほど中島は臆病ではない。彼はテロリストが繰り出してきた左拳を右へ移動し、回避しながら警棒を守谷の胸部に打ち込んだ。左に続いて右拳を出そうとしていた守谷の動きが止まり、中島は警棒の柄で相手の右側頭部を殴った。この一撃で額に切り傷を持つ男の意識は薄れ、力の抜けた彼の体は重力に引っ張られた。だが、倒れる前にSAT隊員が再び警棒の柄で守谷の右側頭部を殴り、そのまま壁に叩きつけた。

 完全に意識を失ったテロリストは重力に引き摺られて床に落ちたが、着地する前に後頭部を警棒の先端で殴られた。床に崩れ落ちた守谷は、最後の一撃を受けて血の混ざった泡を吹きながら体を痙攣させた。

 そのような姿を見ても、中島の心に後悔や憐みの気持ちはなかった。乱れた呼吸を整えることもできたが、中島は急いで荒井のところへ走り、重たい大男の死体を横に退かせた。

 若いSAT隊員の顔は月明りに照らされて青白く、左脚の傷口の周りに小さな血だまりができていた。

 焦らずに中島は荒井の首筋に二本の指を置いた。指先に微かな振動を感じ、東京から来たSAT隊員は安堵してその場に座り込んだ。しかし、外で交戦している仲間のことを思い出し、特殊警棒を支えにして立ち上がった。

 疲労と痛みが全身を駆け巡っていても、中島は素早く荒井を安全な場所へ移動させるため、若い隊員のベストを掴んだ。その時、近づいてくる複数の足音を耳にした。中島は荒井の手に握られていた弾切れの拳銃を取り、急いで若いSAT隊員のホルスターから5発の銃弾が入った最後の弾倉を装填すると遊底を元の位置に戻して構えた。

 足音が二人に近づく中、片膝をついて中島は前方と後方へ交互に視線を配った。息を押し殺し、神経を尖らせていると足音が消え、17メートルほど離れた曲がり角から素早く頭が出るのを見た。この時、危うく中島は引き金を絞るところであった。

 「味方か?」曲がり角にいる男が大声で尋ねた。

 「増援か?」中島は質問で返した。

 「そうだ。」

 この時、東京からSAT隊員は背後から物音を聞き、振り返って引き金を引いた。銃弾が背後から接近していたSAT隊員の防弾ベストに命中し、撃たれた隊員は一歩後退して衝撃に耐えた。援護に来た隊員の顔には驚きの表情が浮かんでおり、彼の背後にいた仲間も中島の素早い反応に驚いていた。

 仲間の姿を確認するなり、東京から来たSAT隊員は急いで床に落として両手を上げた。

 「中島さんですか?」撃たれた隊員が訊いた。

 「そうだ。胸は大丈夫か?」

 「ベストのお陰で問題ないです。」防弾ベストを軽く叩きながら、撃たれた隊員が応えた。

 荒井が起き上がり、自分と中島を囲む同僚たちを見て驚いた。

 「アイツらは…どうなってんですか?」荒井が中島に尋ねた。

 「大男は死んだよ。もう一人は瀕死状態。外の連中も片付いたらしい。」と東京から来たSAT隊員。

 「それじゃ…」

 「オイラたちの仕事は終わり!あとは他の人たちに任せよう。」そう言って、中島は仰向けに倒れて両目を閉じた。








 「遅かったですね。」もくもくと黒煙を吐き出す乗用車に群がる野次馬を見て小川が言った。

 「だね…」藤木が空返事を返した。

 二人は20メートルほど離れた場所に停めた車の中から様子を窺っていた。

 「どうするんですか?」女性捜査官が心ここにあらずという態度の上司の方を向いた。

 「SATがもうすぐ到着するし、そろそろドロンしよう…」

 下唇を軽く噛んで小川が車を走らせた。

 「何であのSAT隊員に肩入れするんですか?」女性捜査官が胸に留めていた疑問を藤木にぶつけた。

 「中島さんのことかい?」窓の外を流れる景色を見ながら藤木が訊いた。

 小川が頷く。

 「同期だし…」藤木がヘッドレストに頭を置く。「それに、返し切れていない大きな借りがあったし…」

 「何の借りですか?」

 「私の代わりに亡くなった若者がいてね…」









 疲れ果てた小田完治が地面に座り込んだ。

 「も、もう…ダメだ…」

 「もう少しの辛抱です。」SPが議員の腕を引いて立ち上がらせようとしたが、小田はそれを振り払った。

 「す…少しで…いい。休ま…せて…くれ…」

 二人は先ほど三須に襲撃された場所からは100メートルほどしか離れておらず、いつ追いつかれても不思議でない状況であった。空港との距離はほとんど縮まっておらず、議員を護衛するSPは走行中の車を見つけたら、それを借りて目的地まで急ごうと考えていた。

 「議員、あと数メートルで車通りの多い道に出ます。そこで車を捕まえて空港に急ぎましょう。」右手に拳銃を持つSPが、地面に座り込んで呼吸を整えている小田完治の様子を見て言った。

 「わ、わかった…」消え入りそうな声で議員が応えた。

 三須はこの様子を物陰に隠れて見ていた。親指で短機関銃のセレクトレバーを操作し、フルオート(連発)からセミオート(単発)に切り替えた。そして、照準を座り込んでいる小田の脚に合せて二度引き金を絞った。

 MP-5Kが小さく動き、花火のような音が静かな路地に鳴り響いた。二発の銃弾は吸い込まれるように議員の右膝と脛に命中した。地面に小田の血が飛び散り、傷口から大量の血が溢れ出る。

 議員が悲鳴を上げ、両手で脚を抑えた。急いでSPが銃を構えて三須を撃とうとしたが、その前に胸と右肩に銃弾を受けて拳銃を落してしまった。

 SPが左手で銃を拾おうとした時、三須が物陰から姿を現した。議員の護衛が拳銃を掴むなり、三須はSPの胸と首に3発の銃弾を叩き込んだ。力なく後ろに倒れた護衛を見て小田は死を覚悟した。心臓が異常に高鳴り、全身から汗が噴き出してきた。彼の双眸は短機関銃を持つ襲撃者を捕えて離さず、いつ引き金を引くのか目を大きく開けて見ていた。

 その時、短機関銃の銃口からパッと火が噴き出した。それと同時に花火が破裂したような音が路地に響き、小田完治の腹部を激痛が襲った。白いワイシャツに血が滲み、それは段々と大きくなって小田に衝撃を与えた。

 「ずいぶん待ったよ…」三須が議員に歩み寄った。距離は2メートル弱。「2年。すごく長かった…」襲撃者が再び小田の腹部に銃弾を叩き込み、撃たれた議員はその反動で地面に倒れた。

 小田完治の呼吸は浅く、撃たれた個所から大量の血が出てワイシャツは真っ赤に染まっている。

 「先生を裏切ったからだ。」短機関銃の銃口を議員の頭に向けて三須が言った。彼の顔には笑みが浮かんでいる。「報いを受けろ…」

 銃声が路地に響き渡った。銃弾を左肩に受けて痛みが走る中、三須が背後へ鋭い視線を送る。そこには拳銃を構える西野がいた。

 ネズミ取りの捜査官が再び引き金を絞ろうとした時、三須は短機関銃を憎い西野に向けて発砲した。彼はフルオートで射撃を行おうとしていたが、セレクトレバーがセミオートに設定されていたために引き金を1発しか発射されなかった。姿勢を低くして三須は右へ移動し、親指でセレクトレバーを操作すると銃口を西野に向け、弾倉が空になるまで引き金を絞り続けた。西野も姿勢を低くして、三須を追うようにして左へ移動した。両者ともに発砲したが、狙いが安定していなかったため、銃弾が頭上を通過したり、肩や腕をかすったりしただけであった。

 二人が民家の塀に突き当たると同時に弾切れになった。西野は小木から奪った拳銃に手を伸ばしたが、予備弾倉や拳銃を持っていない三須はネズミ取りの捜査官に接近しながらMP5-Kを投げつけた。ベルトに挟めていた銃のグリップを握って抜き取ろうとしていた西野は、それを左手で払い避けた。しかし、短機関銃に気を取られた隙に間合いを詰められ、三須が前押し蹴りを捜査官の腹部に叩き込んだ。

 左脚を一歩下げて踏み止まり、西野は腰の辺りで銃を構えると三須に向けて引き金を引いた。相手の動きに勘付いたテロリストは右へ移動して銃口から身を逸らし、右拳で引き金を絞り終えた西野の左側頭部を殴った。間髪置かずに三須は左膝蹴りを捜査官の股間へ繰り出した。

 ギリギリのところで右膝を内側に向けて西野は金的を防ぎ、左掌底で三須の額を殴ると素早く拳銃を相手の胸に向けて突き出した。

 テロリストは咄嗟に捜査官の右手首を掴み、そのまま頭突きを西野の鼻頭にくらわせた。攻撃を受ける寸前に西野が引き金を絞り、銃弾が三須の左腕をかすめて壁にめり込んだ。そして、三須は被弾して痛む左腕を持ち上げ、西野の右手に握られていた拳銃を弾き飛ばした。銃が勢い良く地面に叩きつけられる。

 西野は折られた鼻から出ると血と脈打つ痛みを感じながらも、三須の腹部へ突き上げるように右膝蹴りをくらわせた。予期せぬ攻撃を受けたテロリストは激痛のあまり前屈みとなり、その隙を狙ってネズミ取りの捜査官は三須の後頭部へ右肘を振り下ろした。この一撃でテロリストは崩れ落ち、四つん這いになった。これを確認すると、疲労困憊している西野は落とした銃を取りに動いた。

 腹部と後頭部へのダメージに苦しむ三須であったが、自分の前を歩く西野を目撃すると憎悪が全ての感覚を塗りつぶした。彼は拳銃を取ろうと屈んだ西野の左脚を掴み、力一杯手前に引っ張った。

 バランスを崩したネズミ取りの捜査官は頭から転んで、額を地面に打ち付けてしまった。痛みに呻き声を上げるも、西野はすぐ三須の方を見た。しかし、そこにテロリストの姿はなかった。捜査官が顔を上げると銃声が暗い路地に響いた。西野の胸に激痛が走る。彼は痛みと銃弾を受けた衝撃から仰向けになった。

 拳銃を取り上げた三須は座った状態で一度、西野の胸に向けて発砲した。そして、素早く立ち上がった。周囲を見渡すと、民家の窓から彼らを見る住民や路地の曲がり角で息を潜めている野次馬を見つけた。テロリストは口元を緩めた。

 “これで大衆は目を覚ます。”

 三須は口から血を吐いた西野に視線を戻し、捜査官の腹部に3発の銃弾を叩き込んだ。撃たれた衝撃で西野の体が振動した。少しでも捜査官に苦しんでもらいたいテロリストは、敢えて西野の頭を撃ち抜かなかった。

 「先生、もうすぐですよ…」そう呟くと、三須は小田完治のところへ向かった。議員の頭部は何が何でも撃ち抜こうと、テロリストは計画当初から決めていた。

 すると、前方から赤色灯を光らせて接近してくる黒いSUVを目撃した。後ろを見ると、同じく赤色灯を光らせた車が近づいてくる。

 三須は急いで大きな血の湖の中で倒れる小田に近づき、銃口を議員の頭部に向けた。

 パンッと銃声が鳴り響き、三須の右手から拳銃が落ちた。彼は歯を食いしばって痛みに耐え、拳銃を拾おうとした。だが、その前に左脚を撃たれて片膝をつき、さらに顔を下に向けた一瞬の隙に顔面を蹴り飛ばされた。背中から地面に倒れた時、三須は自分を撃った人物を確認した。

 倒れる三須に拳銃を向ける新村の顔は冷静であった。そこからは何も読み取るができない。しかし、彼女の心は憎悪に満ちていた。思いを寄せていた野村を殺害した犯人が目の前にいる。できることなら、弾倉が空になるまで撃ちたかった。

 応援のSAT隊員2名が三須をうつ伏せにさせて両手首を縛り、テロリストをSUVへ連れて行った。その様子を新村は目で追い、三須が車に押し込まれると拳銃をホルスターに戻した。

 一方、他のSAT隊員たちは被弾した小田と西野の様子を見ていた。二人とも意識はないが、脈はあった。隊員たちは急いで止血を行ない、小田と西野を近くの病院へ搬送した。








 「そうか…。よくやった…」電話越しの黒田の声は暗かった。

 「現場は警察に任せていいのですか?」背後で忙しなく動き回る制服警官2人を見つめながら、新村が尋ねた。制服警官たちは現場の保存を行っており、女性捜査官がいる場所から離れた場所でも同じ作業が行われている。

 「これ以上、警察と揉める気はない。すぐに帰って来い。」

 「分かりました…」

 通話を終えても新村は三須を逮捕した現場から目を離すことができなかった。

 ブルーシートで覆われたSPの死体。西野と小田完治のおびただしい量の血。大量の空薬莢。MP-5K短期機関銃。USP拳銃。

 しばらく現場を見つめると、新村は踵返して待機していたSATの車に乗り込んだ。

 「支局の近くまで送って下さい。」後部座席のドアを閉めると、女性捜査官が運転席にいる隊員に言った。

 「了解。」

 車が走り出すと、新村はヘッドレストに頭を乗せた。

 “終わった…”

 そう思うと突然、今まで抑えていた感情が爆発し、涙が両頬を伝って首筋を流れた。喉がぐっと苦しくなり、彼女は前屈みになって声を押し殺して口を小さく開いた。

 前の座席にいた二人のSAT隊員は新村が泣いていることに気付いたが、後ろを振り向かず気付いていないフリをした。








 銃撃戦で右手の指を3本失った大多和であったが、手を元通りの姿に戻せる可能性が高いと担当の医師に言われて喜んでいた。

 応援に来たSAT隊員が機転を利かせ、大多和の指をすぐアイスパックで冷やしたので腐食の進行を遅らせることに成功していた。そして、これが捜査官の右手を元に戻す可能性を高めた。ネズミ取りの捜査官はすぐ手術室に運ばれ、指の縫合手術が開始された。

 この数分前、病院へ向かう車の中で大多和は隣に座るSAT隊員の桑野に、今まで抱いていた疑問をぶつけた。

 「あの中島って人は何者なの?あと、洞爺湖で何があったの?」

 桑野が目を見開いて大多和の顔を見た。「知らないんですか?」

 ネズミ取りの捜査官が頷く。

 「中島さんは洞爺湖サミットでテロ攻撃を計画した過激派を逮捕したチームのリーダーですよ。」驚きの表情を浮かべて桑野が言った。

 横に座る隊員の話しを聞いて大多和はあんぐり口を開けた。「あの中島一真?」

 「そうですよ。」

 これには捜査官も驚いた。講義や同僚の話しでしか聞いたことのない存在であったため、中島一真本人と共に行動していたとは夢にも思っていなかった。

 中島は洞爺湖サミット警備の応援として、警視庁から派遣されたSAT隊員の一人であった。彼が有名となった理由はSATの主目的である「無力化」を行わず、過激派メンバー全員を拘束したからである。これは中島の独断ではなく、突入の許可得る際、グループとその関連組織を一掃したい北海道警察本部長と警備部長から「可能な限り、犯人を拘束せよ」との命令を受けた故の行動であった。しかし、命令を下した二人はあまりテロリストの拘束に期待をしていなかった。

 命令を受けた中島と彼のチームは、過激派がアジトとして使っている貸事務所がある壮瞥町へ向かい、そこにいた7人のテロリストを一人も無力化せずに拘束した。

 費やした時間は2分9秒。

 テロリストは腕と脚に銃弾を受けていたが、致命傷に至るケガはなく、すぐにでも尋問できる状況であった。拘束後、警備部の爆発物処理班が過激派のアジトで4本のパイプ爆弾を発見した。

 「変わった人なんだな…」大多和が前方を走るSUVを見た。その車には中島と荒井が乗っている。「もっとお堅い人だと思ってた…」








 夜が明け、街に陽の光が拡散し始めた。そして、光が拡散するように、三須と小木による小田完治襲撃のニュースが瞬く間に朝の日本に広まった。

 全てのテレビ局が放送内容を変更し、小田完治の特集番組を放送した。それは襲撃された議員の容態を心配する内容ではなく、昨日から続いていた小田に対するテロ攻撃と彼や家族を誹謗中傷する内容であった。

 とある番組に出ていた評論家は「小田議員はテロを規制する法案提出の準備をしていた。この襲撃はそれに反対する勢力の犯行に違いない。彼が無駄な法案を作らなければ、このような事態は避けられた」と述べ、強く小田を非難していた。

 インターネットも小田完治の話しで持ち切りであった。ソーシャルメディアを中心に、現場を目撃した人々が写真や動画を投稿して盛んに事件の背景について推理していた。

 警察は議員を襲撃した人物は旅行代店に勤務する『小野田 良平』と『小木 康博』だと発表した。動機不明であり、ホテルの襲撃との関連も不明だと記者会見で言った。二人がネズミ取りの分析官と捜査官であることは伏せられ、彼らの顔写真も公開されなかった。

 不可解な点が多すぎるため、人々は報道が始めるなりミステリー小説を読むように事件を追っていた。またインターネット上では、ある男性について意見が交換されていた。その男性は複数のソーシャルメディアに登場するも、誰も彼の正体を知らなかった。襲撃の目撃者たちは、謎の男性は小田完治を襲った男との交戦の末に射殺された、とコメントを投稿している。しかし、警察、そして、大手マスメディアはこの人物について一切触れていない。

 あるインターネット掲示板では「都市伝説」として扱われるようになるも、一部の人々は謎の人物の正体を追い求めた。








 西野が目を覚ました。

 「起きたか?」

 声が聞こえ、西野が頭を枕から上げた。窓の横に置かれたスツールに座る黒田が見えた。上司の姿を見るなり、ネズミ取りの捜査官は三須のことを思いだして上体を起こそうとした。しかし、胸部と腹部に激痛が走ってベッドの上に落ちた。二人は病院の個室にいた。

 「無理をするな。傷口が開くぞ…」黒田が立ち上がる。

 「三須はどうなった?議員は?」早口で西野がベッド横に来た上司に尋ねた。

 「小野田良平こと三須圭介と小木は逮捕したが、二人ともダンマリを決め込んでる。小田議員は一命を取り留めたが、予断を許さない状況だ。」

 「そうか…」安心して西野は両目を閉じた。

 「一段落着いたが、まだ油断できない。三須と小木に対する尋問が強化され、奴らの仲間を全員―」

 「守谷はどうなった?」捜査官が黒田を遮った。

 話しの邪魔をされた童顔の黒田はむっとしたが、それを顔に出すことは無かった。

 「廃校舎で見つかった守谷と奴の仲間は死んだよ。」

 「確かか?」西野は疑心暗鬼になっていた。一度は死んだと思った男が現れ、殺されかけたのだ。

 「死体を見に行くか?まだ処理されてないと思うぞ。」

 しばらく二人の間で沈黙が続いた。

 「そろそろ行くよ…」黒田がドアへ向かって歩き出した。

 「野村たちはどうしてる?」ドアノブに手をかけた上司に西野が尋ねた。

 黒田は答えに困った。

 「今はゆっくり休め…」

 “まだ知る必要はない…”ネズミ取りの支局長は部屋を後にしようとした。

 「待ってくれ!」西野が大声で呼び止めた。その際に被弾した箇所が痛み、顔を歪めた。

 黒田がスライドドアを閉めて振り返った。「どうした?」

 「もう辞めようと思う…」目を伏せて西野が言った。「俺にはもうこの仕事を続ける自信がない…」

 黒田は何も言わなかった。

 「すまない…」そう言って西野は顔を窓の方へ向けた。

 「分かった。」黒田はそれ以上何も言わず、病室を後にした。








 果物の詰め合わせを小脇に抱えた男がナースステーションにやって来たので、奥で作業していた若い女性看護師のがカウンターに近づいた。

 「宮崎優さんの友人なんですが、病室はどちらでしょうか?」男が尋ねた。

 「宮崎さんは710号室にいます。お部屋はそこの角を曲がって…」看護師が男から見て左手にある曲がり角を指で示した。「まっすぐ行った突き当たりの左にあります。」

 「ありがとうございます。」面会簿に名前を書くと、男が笑みを浮かべて礼を言った。

 病室に近づくと子供の笑う声が聞こえてきた。部屋番号の書かれた札の下に2つの名前があり、一番上に「宮崎優」とあった。室内を覗き込むと4つのベッドがあり、奥の2つのベッドが使用されていた。片方はベッドを囲むようにカーテンを閉められていたが、もう一つには若い男性が座っている。彼の横には小さな女の子を膝の上に乗せてスツールに座る若い女性がいた。一家は笑顔を絶やさずに話しており、宮崎が大きく笑い声を上げると顔を歪めて腹部を右手で抑えた。まだ、刺された箇所が痛むようだ。

 辛抱強く一緒に行動してくれた若い刑事の病院にまで来たが、中島は一歩を踏み出すことができなかった。刑事の顔を見た時、彼は最初自分の目を疑った。そこには潜入捜査中に殉職した三浦大樹がいた。ベッドに座る三浦とその家族。しかし、すぐに勘違いであることに気が付いた。それでも彼の目頭は熱くなり、咄嗟に壁に背をついて両目を閉じた。

 “アイツは死んだんだ…”

 その時、人の気配を感じて中島が目を開けた。松葉杖をついて廊下を歩く老人と看護師が、彼に不審な目を向けていた。SAT隊員は室内に入ろうと壁を離れたが、すんでのところで足を止めた。そして、ナースステーションに向かい、果物の詰め合わせをカウンターの上に置いて立ち去った。

 宮崎と会った時から中島は、どこか若い刑事から三浦と似た雰囲気を感じていた。一緒にいてとても気分がよく、弟のように可愛がっていた後輩のことを思い出しては、悲しみと同時に奇妙な高揚感を持った。ゆえに宮崎が刺された時、SAT隊員は我を失って相手を射殺した。

 エレベーターが一階に着くと中島は、後ろ髪を引かれる思いを断ち切ってメインホールへ続く廊下を歩き出した。受付前に並ぶベンチの後ろを通って出入り口へ向かっていたが、その時に見慣れた横顔を見て足を止めた。

 「まだいたのか?」中島がベンチに座って雑誌を読んでいた藤木の隣に座った。

 「飛行機の時間まで6時間もあるんですよ。」ネズミ取りの男が顔を上げた。相変わらず彼の顔には笑みが浮かんでいる。

 「そうかい…」ベンチに深く腰掛けてSAT隊員が言った。

 「あの刑事さん…3週間後には退院できるそうですよ。」

 中島が藤木を見る。「そのストーカー癖は直した方がいいと思うなぁ~」

 「癖じゃないです。仕事ですよ。」

 しばらく二人は黙って前を見つめた。

 「アイツらの中に三浦の仇はいたのか?」中島が沈黙を破った。

 「あまり詳しいことは言えませんが…」横目で隣に座る男を見て藤木が口を開く。「三浦くんの死に関わったとされる3人のうち2人は亡くなりました。」

 「もう一人は?」

 「拘束されました。しかし、三浦くんと共に行動していた元警察官の報告によれば、直接手を下した男は、中島さんがやっつけちゃったみたいですよ。」

 「ふ~ん。」

 藤木は中島が嬉しそうな表情を見せるかと思っていたが、SAT隊員は表情一つ変えずにそっけない返事を返した。

 「そう言えば、あの議員と捜査官はどうなったの?」と中島。

 「議員の方はまだ危険な状況です。でも、捜査官の方は意識を取り戻しましたよ。」

 中島が突然立ち上がった。「そろそろ帰らないと、家族に怒られちまうな…」

 「休暇中でしたもんね…」藤木は再び雑誌に目を戻した。「また縁があれば、会いましょう。」

 「この世界にいたら嫌でも会うだろうさ。」ネズミ取りの男を見下ろしてSAT隊員が言った。「言い忘れてたけど、ありがとな…」

 藤木が目を上げた時、中島は既に自動ドアを抜けて外に出ようとしていた。

 「どういたしまして…」雑誌の記事に目を通しながら、藤木が小さく呟いた。中島は廃校舎で救ってくれた狙撃手が藤木と小川であることを悟っていた。

 中島と入れ違う形で小川が彼の隣に座った。「何で言わなかったんですか?」

 「何を?」と藤木。

 「三浦という人の死と藤木さんの関係ですよ。」

 菊池信弘のテロ計画を阻止するため、警視庁公安部は潜入捜査官として藤木を使うことも検討していた。しかし、年齢や彼の素性が一部団体に漏れていることを考慮した結果、公安部は新たに潜入捜査官候補を探し始めた。その候補が西野と三浦を含む5名であった。

 三浦の殉職を聞いた時、藤木は罪悪感を抱いた。

 “自分が潜入して死ぬべきだったのかもしれない…”

 それから彼は仕事の合間を縫って菊池たちの残党を探していた。そして、今日、それが終結しようとしている。

 「もう終わったことだよ、小川ちゃん。」

 長い髪を後ろで束ねている女性捜査官が下唇を突き出した。

 「ながーい、ながーい報告書を書かないといけないし…そろそろ出るかい?」藤木が雑誌を閉じる。

 二人は立ち上がって駐車場に向かって歩き出した。

 「そう言えば、さっき聞いたんですけど…」小川が口を開いた。「三須と小木が亡くなりましたよ。」

 助手席のドアを開けて藤木が部下の顔を見た。「それで?」

 「いや…」女性捜査官はたじろいだ。上司は眉一つ動かさなかったのだ。「一応、報告しようと思って…」

 「そう…。ありがとう、小川ちゃん。」

 藤木の様子に疑問を抱きながら小川は車を走らせた。駐車場を後にしようと一時停止した際、彼女の頭にある考えが浮かんだ。

 “それはないか…”

 あまりにも馬鹿げたことだと思い、小川は気持ちを切り替えて車を空港へ向けて走らせた。




終わり





(これで『返報』は終わりでーす。それじゃ!)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

あの野郎ォ…発売延期? ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。