返報(6) [返報]

 しばらく沈黙が続いていたので宮崎は居心地の悪さを感じていた。助手席にいる中島はカロリーメイトを黙々と食べている。信号で停止した際に宮崎は中島の方を向いた。
 「中島さんは明日からウチの署で本格的に仕事をするんですか?」
 「え?」中島がゴミを整理しながら言った。「俺、異動になるの?」
 「違うんですか?」宮崎は混乱した。
 “このダメ刑事は自分の異動先も知らないのか?”
 「東京から北海道か~嫁さんが何というかねぇ~子供の学校もあるし~」
 “東京!?”
 「中島さんって警視庁の方なんですか?」
 「そうだよ。聞いてなかったの?」
 “警視庁?は?こんな人が警視庁の刑事?”
 「それより異動はキツイな…こればかりは家族にも迷惑をかけるからなぁ~」中島は頭でヘッドレストを軽く突いた。「宮崎くんはどうなの?家族は?」
 家族の話しを聞かれた途端に宮崎の顔に笑みが広がった。「娘がいます。三歳です。」
 「黄金期だな。今の内に楽しんでおけ。その内、『パパ』から『オヤジ』に変わるかもしれないからな!」
 「ウチの娘に限ってそんなことはないですよ!」
 「それは神様しか知らないことだ。んでも、娘を信じることはいいことだ。」
 「中島さんのところは?」
 「ウチはちょっと問題があってね…」
 二人を乗せた車が捜査本部の置かれている警察署に到着した。
 「また、後で話そう。」そう言って中島は車を降りた。
 “気になるな~別居中なのか?離婚調停中?こうなると聞かない方がいいな。”車の鍵を締めながら宮崎は思った。彼は先に歩く中島の隣に並ぶと東京からやってきた男の右手にあるジップロックの袋を見た。
 「証拠品ならいいですね。」
 「そうだね~」中島の返事は素っ気無かった。
 “やっぱり変わった人だ。俺がこの人奥さんだったら離婚するな…”
 二人が警察署に入ると報道関係者や制服警官が慌ただしく走り回っていた。その光景を見て驚いていたのは宮崎であった。普段の警察署は近所の図書館よりも静かで、蛍光灯も無駄な光熱費を削減するためにいつも切られている。今は署内の蛍光灯のほとんどが点いている。
 「賑やかだね。なんかあったのかな?」中島が宮崎を見る。
 「あ~」署内の状況に圧倒されている宮崎はすぐに答えることができなかった。「いや、議員の娘が誘拐されたのでマスコミが来ているんですよ。でも、僕が署を出る時はこんなに人がいなかったけど…」
 「何か動きでもあったのかな?」
 「そうかもしれません。早く証拠品を課長に持っていきましょう。」



 「どうしてこんなことになったんだよ!」議員の息子が父に向かって怒鳴った。
 「いいから早くここを出る準備をしろ!」息子に負けないように小田完治も怒鳴る。
 「二人とも止めて下さい!それより菜月はどうなったんですか?」二人の間に議員の妻が入る。
 見かねた秘書の五十嵐が議員の息子、遼の腕を引っ張って議員と引き離した。議員の妻は息子を心配して秘書と遼の後を追う。残された議員は早足で部屋を後にする。
 “テロリストの襲撃!?どうなっているんだ!?菜月の事件と関連しているのか?目的は何だ?誘拐犯と同じ?いや、別の?”
 途中で小田は二人組のSPに道を遮られた。
 「退けてもらえないか?」
 「今すぐここから避難します。」SPの一人が言う。
 「まだ家族の準備ができていない!」
 「準備は選挙スタッフがしますので―」
 着信音が小田の部屋から聞こえてきた。議員はSPを押しのけて電話へ走り、急いで受話器を持ち上げた。
 「議員ですか?」受話口からくぐもった男の声が聞こえてきた。電話の相手が最初の人物とは別の男だと小田完治は気付いた。
 「そうだ。」
 「やっと思い出してくれましたか。彼らのことを…」
 「彼らと君に何の接点があるんだ?」
 「まだまだ調べが足りないようです。こんなにヒントを出しているのにあなたはまだ何にも気づいていない…残念です。」
 「もし、私に恨みがあるなら娘を開放して私を誘拐すればいい。」
 「そうなると、僕たちからのお返しの意味が変わってしまうんです。とにかく、まずは娘さんを殺そうと思います。」
 小田完治は頭から血の気が引き、心臓が縮まるような感触を感じた。
 「待て!身代金はもうすぐ用意ができる!議員の職も辞する!お前の要求を全て飲むから娘を開放してくれ!」
 「そうですね~じゃ、こうしましょう。身代金を渡してくれたら、娘さんの人差し指と中指をあげます。」
 「ふざけているのか!」小田完治は送話口に向かって勢い良く怒鳴り散らした。
 「取り乱さないでください。また、後で電話します。」
 電話が切れた。小田は受話器を机に叩きつけ、机を何度も何度も殴った。
 “クソッ!クソッ!どうなっているんだ!どこのクソ野郎がこんなことを!!”
 「議員。」SPが小田に近づく。「ここから避難を―」
 「誘拐犯がまた電話をしてくる!移動などできるわけないだろうが!!」顔を真っ赤にさせて小田が怒鳴った。
 「しかし―」
 「誰がなんと言おうと私はここに残る!お前たちだけで移動しろ!」議員は受話器を元の位置に戻すと椅子に座ってSPに背を向けた。



 刑事課に着くと二人は小太りの刑事課長を見つけた。中島はあらかじめ刑事課長の特徴を宮崎から聞いていたので、すぐに刑事課長だと知ることができた。それに刑事課には課長しか残っていない。書類に目を通していた刑事課長は近づいてくる二人に気づくと顔を上げた。
 「宮崎?」頭が薄くなっている小太りの男が眼鏡を外して言った。「署に戻ってくるなと言っただろう。」
 「しかし、証拠品を―」
 「そんなものあるわけないだろう。鑑識が見逃すはずがない。」課長が宮崎の言葉を遮った。彼は決して中島の方を見ようとしなかった。
 宮崎が反論しようとした時、中島が煙草の吸殻の入ったジップロックの袋を課長の机に放り投げた。
 「これが証拠品ですよ。根も葉もないことは言いませんよ。」中島は人差し指で袋を数回突っつく。
 「これだけでは―」
 「事件現場付近のビルの屋上で見つけたんです。」宮崎が中島のために言った。「議員の娘を誘拐した犯人に協力者がいたと仮定して周囲のビルの屋上を捜索して発見したんです。」
 「別の、誰かのものかもしれない。」課長は未だに中島を見ようとせずに宮崎を見ている。
 「調べなきゃ分からないでしょ?」と中島。
 「確かにそうですが…」刑事課長の声は小さかった。
 「んじゃ、鑑識さんに回してもらえませんかね?」
 「その前に捜査本部に、いや、私がやりますので…」
 「それと被害者たちに会えますかね?」
 「申し訳ないですが、無理です。」
 「どうして?警視庁から来たから?」
 「そうではないです。ひとまず、今日はお帰り頂いて構わないので…明日、手配します。」
 「議員の娘の命がかかっているのに?」
 「いや、それは…」
 “ここまで課長を責めてくれるとは、中島さんに感謝だ。”と宮崎は思った。
 「どこで取り調べが行われているかだけでも教えてくださいよ。それくらいなら構わないでしょう?」中島は粘り強く要求を続けた。
 「それを教えれば、署から出て行ってもらえますでしょうか?」
 「すると思うよ。」
 「取調室1にSP、取調室2にもう一人のSP、最後の取調室3に小田菜月の交際相手がいます。」課長の額に汗が浮かんでいた。
 「ありがとう。」
 そう言って中島は刑事課を後にし、宮崎は急いで中島の後を追う。
 「課長にあんな態度取れる人って署長くらいだと思いますよ。」小声で宮崎が言った。
 「そうなの?それより取調室ってどこ?」
 「この廊下の先です。それより証拠品の結果を待った方がいいのでは?」
 「宮崎くん…」中島が立ち止まった。「鑑識は万能じゃないんだよ。おそらく結果は明日になるだろう。それにもしDNA云々を発見できても比較対象物が無ければ犯人は見つからない。あの吸殻に期待を寄せない方が良い。それよりも議員の交際相手に期待しよう。その前にちょっと準備しないといけないなぁ~。」



 移動中に西野は武田のいる建物の見取り図を得て突入方法を考えていた。建物はL字型でこの記号の底部、短い部分が二階建てとなっており、長い部分は倉庫になっている。二階建ての方には一階に2部屋、2階に3部屋。図面を見る限り倉庫に仕切りは無い。
 “二つのチームに分け、二階建てと倉庫に送る。”ノートパソコンの画面を見つめながら西野は思った。
 「SATが何人来るか知ってるか?」西野が助手席にいる広瀬を見る。
 「黒田の努力次第だろう。それでも8人かな?おそらく議員の方にもSATが付くだろうから、こっちには多く回せないだろう。それに建物が小さいから少ないほうが動きやすい。」
 「その内、4人が狙撃手と観測手に?」
 「4人も必要か?」
 「武田に逃げられた場合に備えて付近の建物の屋上に配置すべきだと思う。」
 「周囲の状況は?建物の中は分かったが、周りが分からない。」西野の持っているノートパソコンを一瞥して広瀬が言った。
 「住宅地に近い。目的地から数メートル離れた場所にアパート郡があるので下手に逃げられると厄介なことになる。」
 「いつも通り『速やかに』が求められる訳だ。」
 「そういうこと。」
 広瀬が民家の前に車を停め、二人は車を降りるとその家の車庫に入った。車庫の中には白いバンと装備を整えて待機していたSAT隊員たちが二人を待っていた。西野と広瀬を確認した黒いキャップを被った引き締まった顔の男は二人の捜査官にMP5-SDを渡す。
 「こちらの準備は整っています。」消音器が取り付けられている短機関銃をネズミ捕りの捜査官に渡したSAT隊員が言う。
 短機関銃の弾倉を抜いて銃弾を確認した西野は遊底を引いてSATの方を見る。目の前にいる隊員を合わせて8人。
 「防弾ベストとMP5の予備弾倉が欲しい。拳銃、SIGのP228用の予備弾倉はあるか?」
 「SIGですか?USPならありますが…」SATの隊長と思われる男が言う。
 「それでも構わない。予備の武器が欲しい。」
 「分かりました。」
 ニット帽を被った長身のSAT隊員が西野と広瀬に防弾ベストと短機関銃の予備弾倉を渡す。そのすぐ後に隊長が西野に拳銃を渡した。捜査官たちは装備を整えるとSAT隊員の方を見た。全員の顔に緊張の色が浮かんでおり、短機関銃の銃把を握っている手が震えている者もいる。顔に出していなくても、西野も広瀬も緊張していた。
 「突入方法について簡単に説明する。」そう言って西野は喋り始めた。



 先輩捜査官の準備が終えるまで野村は居間にあった本棚に目を通していた。そこに並んでいた本は野村にとって馴染みの無いものばりであった。本のジャンルは恋愛や女性に関する心理学、テレビや新聞などで紹介されて有名になったもの、漫画本であった。
 “本棚を見ればその人の性格が分かると言うけど、小木さんって意外と飢えていたんだな~”野村は本棚の次にテレビの横にある小さな棚を見た。そこにはCDやDVDが収められており、映画に興味がある野村はそれに近づこうとした。しかし、洗面所から先輩捜査官が出てくると踏み出そうとした足を止めた。
 「もう少し待ってくれ。上着を取ってくる。」首筋に白いシェイビングクリームを残していることに気付いていない小木が寝室に入る。
その間に野村はDVDに目を走らせようとしたが、小木はすぐ寝室から出てきた。
「行こうか。」
二人は小木の住むアパートから出ると野村が運転してきた車に乗り込む。小木は助手席のサイドミラーで自分の髪型を確認したが、首筋のシェイビングクリームにはまだ気付いていなかった。野村はそれについて言うべきか悩んだが、下小木の性格を考えて予め用意していた質問を先輩捜査官に尋ねることにした。
 「小木さんの情報提供者について聞きたいことがあります。」
 「なんだい?」青い白い顔をした細身の小木が言う。
 「武田に関する情報は誰から来たんでしょうか?」
 「どこか適当な場所に移動してからでもできる話しだと思うんだけど、今じゃないとダメなのかな?」
 「今すぐ必要なことなんです!」野村は事の重大さを伝えるために声を大にして言った。
 「わ、分かったよ…あれは梶原からだった。書面ではAs124とされている。」
 野村は後者の呼び方に馴染みがあった。ネズミ捕りに入局してからその名前は何度も耳にしており、その情報提供者から寄せられる情報は常に正確であった。
 小木が話しを続ける。「俺が入院している時にアイツからメールが来たんだよ。伝えたいことがある、と。だから俺はアイツにいつも利用している受け渡し場所に情報を置いておけとメールしたんだ。だけども、送信後に取りに行けないことに気付いたんだよ。入院中で外出が許されていなかったからね…慌てて緊急連絡用に作っていた電子メールアドレスに情報を送れと連絡したよ。」
 「他の捜査官に受け渡し場所に送ろうと思わなかったんですか?」
 「俺の資産は俺が管理する。他の奴らを使おうとは思わなかった。それにこれからもしない。」
 “自分の情報提供者が横取りされると考えているのだろうか?”と野村は思った。
 「情報の中身について教えて下さい。」
 「報告書にあるだろ?何でいちいち俺に聞くんだ?」
 「確認したいことがあるんです。」
 「分かったよ…」先輩捜査官は後輩の根気に負けた。「メールの内容は武田があのパルムっていう商業施設に13時に現れるという情報。それに添付ファイルが2つ。小樽港付近で仲間と話し合っている武田の写真が2枚。」
 “報告書通り。つまり、小木さんは白?まだ分からない。”
 「どうして小樽港だと分かったんですか?」
 「写真の背景にあった船の記録を調べて港を特定した。なんか尋問みたいだな…」
 「すみません。重要なことなので…では、連絡はそのメールだけなんですか?」
 「そうだ。」
「これから、その梶原さんに会えますかね?」
 「できると思う。この近所の居酒屋にいつもいるから、そこに行けば会えると思う。」
 「いいんですか?」野村は断れることを予想していたので小木の返事は意外であった。
 「俺の情報提供者だ。何をしようが俺の勝手だよ。」
 小木は明るく振舞っていたが内心は怯えていた。野村が来る数分前にネズミ捕りの捜査官がやって着て、何かあれば野村を拘束するように手錠と拳銃を小木に渡していた。黒田はまだ野村に対して不審を抱いていることが小木にも分かった。
 “この小便臭いガキを突き動かしているのは正義感か?ただの私情か?”小木はベルトに挟めてある拳銃の違和感を背中に感じながらそう考えた。



 出発の準備を整えた武田がネズミ捕りの建物についてもう一度確認した時、本間から電話がかかってきた。武田はそれを無視しようとしたが、着信音が4回鳴った後に電話に出た。
 「これから出発するんだ。邪魔しないでもらえないか?」
 「ちょっと気になることがあって電話をしたの。」本間の声はいつもの相手を見下すような口調と違っていた。
 “気になること?”
 「そっちに中年の男が行かなかったかしら?」
 「いや、来ていない。」
 「そう。」
 「何か問題でも?」武田は不安を抱いた。
 「私の所に中年の男が来て、あなたに会いに行くと言っていたの。だから、てっきり―」
 「何者なんだ?」武田は本間の話しを遮って尋ねた。不安が大きくなりつつある。
 「私も良く知らないの。ただ、あなたに任せた公安狩りを止めて欲しいと言っていた。」
 これを聞いて武田は本間がネズミ捕りに捕まったと思い込んだ。そして、女が自分に警告を発しているのだと。
 「アンタの言いたいことは分かった。俺たちもすぐ対策に出る。」武田は電話を切ると机の上に広げていた荷物を鞄に詰め込むと急いで倉庫に向かった。
 「標的を捕捉。」60メートル程離れたマンションの屋上で待機していたSATの狙撃手が武田の姿をスコープに捉えた。もう一人の狙撃手はそこから20メートル離れた別の建物の屋上におり、建物の裏を監視するために配置されている。
 「了解。」駐車してあった乗用車の陰に身を隠していた西野が応えた。彼の背後には二人のSAT隊員が控えている。一方の広瀬も二人のSAT隊員を率いて倉庫付近の物陰に隠れている。
 「準備完了だ。」イヤフォンから広瀬の声が聞こえてきた。
 西野は大きく深呼吸して気分を落ち着かせると背後にいるSAT隊員を見た。二人とも緊張のためか顔がこわばっている。
 「訓練と同じようにすれば上手く行く。」西野が緊張しているSAT隊員たちに声をかけた。それでも彼らの表情に変化は無く、落ち着き無く建物の方を見ようと頭を動かしていた。
 “安い言葉はいつも役に立たないな…”西野は狙撃手がいる方に目を配る。
 「準備はいいか?」西野が尋ねる。
 イヤフォンから広瀬と狙撃手二人からの返信が聞こえ、西野の背後にいたSAT隊員の一人は捜査官の肩を軽く叩いて合図した。
 「3…」西野がカウントを始める。「2…1!」
 1と同時に西野のチームが動き出して建物の入口に向かい、広瀬のチームは少し遅れて倉庫に向かう。それでも西野たちよりも標的に近かった広瀬たちは倉庫の非常口横に一足早く着いた。広瀬がドアノブを握り、SATの隊長がフラッシュバンの安全ピンを外す。捜査官が静かにドアを開けるとそれは内側に向かって動き出し、その瞬間にSATの隊長がフラッシュバンを室内に投げ込んだ。
 非常口を見ていなかったテロリストたちは倉庫から外に駐車してあるバンに荷物を詰め込んでおり、フラッシュバンが床に落ちて音を立てるまでそれに気付けなかった。音を聞いて一番恐怖を感じたのは武田であった。
 “手榴弾?!”
武田は音がした方を見ずに近くの物陰に飛び込んだ。閃光と爆音が室内に広まり、室内にいた3人のテロリストは視覚と聴覚を同時に失ったことでパニックに陥った。彼らは銃を取り出して我武者羅に撃ち始めた。武田は視界こそ奪われなかったが、周りの音が聞こえなくなったので多少なりとも動揺した。それでも彼は素早く上着の内側に隠していた短機関銃を取り出して周囲に目を配る。その頃、バンに乗り込んでいた内山は聴覚にダメージを受けたが、視覚に異常がなかったためにバンの運転席に向かった。
 テロリストたちがパニックに陥った隙に広瀬たちは室内に突入し、拳銃を我武者羅に発砲している一人の男を沈黙させると遮蔽物に移動した。
 銃声を聞くと同時に西野はドアを蹴り破って室内に突入し、その直後に木箱を持った小柄の男に遭遇した。男は木箱を床に落として銃を取り出そうとしたが、西野は壁に沿って移動しながら男の胸と腹部に銃弾を叩き込み、テロリストが倒れると捜査官はその男を跨いで先を急いだ。西野の後を追うSAT隊員たちは廊下に視線を走らせながら慎重に前進する。
 1階には部屋が二つ、2階には三つある。西野は1階にある一つ目の部屋のドアを蹴り破って正面に敵がいないことを確認すると素早く左に動く。異常なし。彼の後ろにいたSAT隊員の一人は真っ直ぐ進みながら左右に目を配り、壁に突き当たると西野が進んだ左に銃口を向ける。異常なし。最後のSAT隊員は室内に入って脅威がないことを確認すると振り返ってドアに銃を向ける。
 安全を確認した三人は次の部屋に行くために部屋を出た。この際、ドアの近くにいたSAT隊員が先頭となり、最後尾に西野が付いた。次の部屋へ行く途中に階段があり、先頭にいたSAT隊員は階段の様子を伺って脅威が無いことを確認する。彼は姿勢を低くして階段に銃口を向け、その間にもう一人のSAT隊員と西野が次の部屋まで移動した。二人の動きを視界の隅で確認すると階段を見張っていたSAT隊員は仲間と合流するために素早く移動する。
 1階最後の部屋へ突入するために西野の前にいたSAT隊員がドアを蹴り破った。特殊部隊員が部屋へ踏み込もうとした時、断続的な銃声が聞こえたと同時にSAT隊員が呻き声を上げて仰向けに倒れた。
 “クソッタレ!”
 西野は背後にいたSAT隊員の胸からフラッシュバンを取り上げ、安全ピンを引き抜くと室内に放り込んだ。西野は左耳を片手で覆いながら目を瞑って右斜め下を向いて爆発に備えた。部屋から男の悲鳴のような声が聞こえ、その後にパンという爆発音が聞こえた。西野が素早く室内に入ると、床で丸くなっている男を一人確認した。その他に異常はなし。捜査官はテロリストから銃を取り上げると顔を確認し、武田では無いと分かるとプラスチックの手錠で男の両手と両足を縛った。
 「杉本!」
 西野がドアの方を向くと血だまりの中で横たわるSAT隊員と彼の名前を呼ぶもう一人の隊員がいた。捜査官は急いで二人の所に行き、被弾したSAT隊員の様子を見る。銃弾の多くは防弾ベストで保護されていた胸に命中していたが、数発がSAT隊員の左腕に深い傷を負わせた。
 「しっかりしろ!」もう一人のSAT隊員が出血している仲間の腕を両手で強く抑えながら言う。
 「手を退けろ。傷の様子が見えない。」廊下の様子を確認し終えると西野は負傷した隊員の傍でしゃがむ。 「止血できるものを用意しろ。」
 SAT隊員が傷口から手を離したが、服が傷口の様子を隠している。
 「室内に運ぶ。廊下じゃ手当が無理だ。」
 西野とSAT隊員は負傷した隊員を担いで室内に入った。



 手が震えて鍵が鍵穴に入らなかった。内山は左手で右手の震えを抑え、やっと鍵穴に鍵を入れてエンジンをかけた。バンのエンジンがかかると同時に銃撃を受けた。倉庫にいた広瀬のチームはもちろん、武田たちもバンに向けて発砲した。内山はシフトレバーをDに入れるとアクセルを踏み込んでバンを発進させる。テロリストたちの中にはバンに向けて発砲する者もいたが、広瀬たちはバンを狙撃手に任せようと短機関銃を持つテロリストたちに向けて発砲を再開した。
 “あの女と子供をコレクションに入れるまでは死ねない!!!”内山は必死になって出口を目指した。
 SATの狙撃手と観測手は内山を捉えた。狙撃手は引き金に人差し指をかけ、運転席にいる内山の胸にスコープの十字を合わせながら銃を動かす。そして、車の動きを掴むとSAT隊員は標的の少し手前に十字を移動させて引き金を絞る。銃弾はフロントグラスを貫いて内山の腹部に命中した。撃たれた男は悲鳴を上げたが、アクセルを踏む右足の力は抜かなかった。バンは走り続けている。
 「外した。少し手前だったぞ。」観測手が双眼鏡を覗きながら言う。
 「分かっている!」狙撃手は急いでライフルの遊底を引いて空薬莢を薬室から弾き出すと、遊底を元の位置に戻して内山を追う。バンはまだ彼らの方を向いている。
 鈍い何かが崩れるような音がしたが、車に乗っている標的を必死に追っていた狙撃手はそれに気付くことができなかった。内山に十字を合わせたSAT隊員が引き金にかけている人差し指に力を入れた瞬間、襲撃者は狙撃手の頭頂部と顎を掴んで首の骨を折った。男は始末したSAT隊員二人を無視して狙撃銃を手に取った。
 “早くから私を使っていれば、このようなことにはならなかっただろうに…”小柄の中年男はそう思った。“本間という女もどうせ使い物にならないだろう…”男はスコープを覗き込んで周囲に別の狙撃手がいないか確認を始めた。
 “中途半端な若い連中に小田の娘を誘拐させていたし…”本間に佐藤と名乗った男は三人組が菜月を誘拐した時の様子を思い出した。“あれは奇跡と言っていい。いくら建物の屋上に仲間を待機させていたとは言え、リハーサルなしで標的の車をSPの車にぶつけたのは見事だった。”
 男は20メートル離れた建物の屋上にいる狙撃手と観測手を見つけると遊底を引き、銃弾の有無を確認した。
 “5発入れていたとしたら、残り4発。”
 ライフルを構え直して狙撃手は見つけた獲物たちをスコープに捉える。標的たちは彼に向かい合うような形で構えているが、彼らは銃声が聞こえてくる建物に注意を奪われている。中年男は屋上の柵にライフルを置いて構えるSATの狙撃手の頭に十字を合わせて引き金を引いた。銃弾はSAT隊員の頭部ではなく首に命中したが、撃たれた隊員は衝撃によって弾き飛ばされ仰向けに倒れた。即死であった。
 “零点が少しずれていたか…”
 観測手が仲間の異変に気付いた時、敵の狙撃手は既に次の銃弾を薬室に送り終えていた。男は観測手の頭部やや上に十字を置いて引き金を引く。ライフルから放たれた銃弾は狙撃手が予想した通り、SAT隊員の頭部に命中してその際に血しぶきが飛び散った。
 “あと2発…”
 一方、広瀬たちはテロリストたちが遮蔽物から銃だけを出して発砲しているためになかなか無力化することができなかった。また、緊張状態にあるために彼らは上手狙いを合わせることができなかった。
 “西野、早く来い!”広瀬はそう思いながら最後の弾倉を短機関銃に叩き込んだ。



 壁の凹みに隠れていた武田は聴覚を取り戻しつつあった。しかし、彼の短機関銃は途中で弾が切れてしまったので拳銃で応射している。
 “このままでは時間の問題だ…”
 彼の近くでMAC-10を発砲していた仲間が短機関銃の弾倉を武田に渡した。
 「アンタだけでもここから逃げるべきだ!」弾倉を武田に渡した男に叫ぶ。
 「すまん…」そう言い残して武田は二階建ての建物に続くドアを走り出す。
 連射から単発にして発砲していた広瀬は西野たちがいる方に向かって走る男を見つけた。
 “武田か?”
 すぐに捜査官は単発から連射に切り替えて走る男目掛けて発砲する。銃弾は武田の後を追うように床を削って破片を周囲に撒き散らし、銃弾が武田を捉えようとした時にテロリストはドアに体当たりして二階建ての建物へ逃げ込んだ。武田は急いで立ち上がると廊下を確認し、裏口がある建物の奥へ走った。
 異臭が漂う二階の点検を終えた西野は物音を聞いて階段を駆け下りた。階段を降りると西野は自分の方に向かって走ってくる武田を見つけた。彼は急いで銃を武田に向けようとしたが、動きはテロリストの方が早かった。武田は右手に持っていた短機関銃を捜査官に向けて引き金を引く。複数の銃弾がMAC-10から発射される直前に西野は左壁にあった窓に体当たりして外に逃げた。幸い銃弾を避けることはできたが、地面に左腕を強打した。痛みに耐えながら西野は仰向けになると壁に向けてMP-5SDを発砲する。短機関銃は壁に複数の穴を開け、西野に追い討ちをかけようとした武田を壁の付近から追い払った。
 テロリストは西野よりも逃げることが最優先だと判断して正面入口に向かう。
 短機関銃の弾倉が空になると西野はMP-5SDの予備弾倉を取らずに拳銃を取った。警戒しながら窓に近づき、武田がいないことを確認すると急いで窓から建物内に入る。素早く左右に目を配ると正面玄関に向かって走っている武田を見つけた。捜査官は武田の足に向けて銃を発砲したが、それは当たらなかった。武田が外に出た。
 “ここで終わらせるんだ!”西野は武田を追って走り出した。



 これ以上時間をかける訳にはいかないと判断した広瀬は発砲しながら大きく前進して遮蔽物に飛び込んだ。途中で銃弾が右肩をかすめて血が出たが、彼は立ち上がると発砲しているテロリスト目掛けて応射する。後方にいる二人のSATは広瀬を守るために単射から連射に変えて弾幕を張った。
 仲間の援護に気付いた捜査官は身を屈めて再び前進を始め、テロリストの正確な位置を特定すると左斜め前にいた標的に銃口を向けて相手が倒れるまで引き金を引く。5発の銃弾を胸に受けたテロリストは短機関銃を発砲しながら仰向けに倒れ、脅威を一つ排除した広瀬は再び前進する。銃声が止んだ。胸を撫で下ろした広瀬が立ち上がろうとした時、彼の真横にあった木箱の陰から拳銃を持った男が現れて発砲した。反射的に捜査官は伏せたが、右太腿に被弾して床に崩れ落ちた。テロリストが追い討ちをかけようとした時、SATの隊長が発砲して無力化した。隊長が急いで被弾した広瀬の方へ走る。
 「大丈夫ですか?」捜査官を救った黒いキャップを被ったSATの隊長が言う。もう一人のSAT隊員は安全確保のために広瀬の横で周囲に目を配っている。
 「クソ痛てぇよ!チクショウ!」広瀬は悪態をつきながら傷口をきつく抑えていた。「安全の確保ができたら西野の援護に行け!」
 「しかし―」
 「俺のことなんてどうでもいい!早く行って来いつうに!!」中年の捜査官は片膝をついて心配そうに自分を見る隊長の肩を叩いた。
 「すぐに戻ります。」そう言って二人のSATは二階建ての建物の方へ向かった。
 “西野と一緒にいるといつもこうだな…”広瀬は壁に背を預けながら思った。



 武田を追う西野は徐々に距離を詰めていった。そして、その様子を中年男はスコープ越しに見守っている。スコープの十字は武田と西野の間にあったが、男は十字を動かして西野の胸に合わせて引き金に指をかける。
 “速さ的にこの位置だろう…”引き金を絞ろうとした時に右耳に差し込んでいたイヤフォンから着信音が聞こえてきた。“こんなときに…”中年男は標的から目を離さずに電話に出た。
 「調子はどうですか?」送話口から聞こえてきた声に男は驚いて引き金にかけていた指を
離した。
 「どうしたんですか?」動揺の色を隠しながら男が尋ねる。
 「佐藤さんにお願いがありましてね。」
 「どのような?」
 「あの男を消す仕事を堀内に回そうと思っているので、今回は見逃してやってください。」
 「撃っても構いませんか?」
 「殺さない程度であればいくらでも。」
 狙撃手は通話相手の声が明るくなったことに気付いた。そして、彼はスコープの中で動いている男の下腹部に十字を合わせると引き金を絞った。
 武田に気を取られていた西野は何が起こったのか分からなかった。突然、強い衝撃が胸部に訪れて後ろに吹き飛ばされ、その衝撃によって西野は脳震盪を起こした。彼が地面に叩きつけられた時、音を聞いた武田が振り向いて倒れている捜査官を見つけた。
 “狙撃手?!応援か?”武田は本間が応援を送ってくれたのだと思いながら走り続けた。
 「武田はどうしますか?」狙撃手が空薬莢を薬室から弾き出しながら尋ねる。
 「彼は僕らと同じ志を持つ人だよ。でも、あなたの好きにしていいですよ。」
 「わかりました。」
 「それではよろしくお願いします。」
 電話が切れた。
 “あの人の気まぐれにも困ったものだ…”
 そう思いながらも中年の狙撃手は走る武田の胸に十字を合わせて引き金を絞った。



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