返報(4) [返報]

 待ち合わせ場所というものは、状況によって変えなければならない。尾行を巻きたい場合は人気の多い場所を選び、その危険性が無い、または尾行を確認したい場合は人気の少ない場所を選ぶ。黒の乗用車で待機している宮崎 優は無人駅のプラットホームを見つめていた。
 彼が書類整理をしていた時、上司が「駅に行って人を迎えに行って欲しい」と頼んできた。4時間も椅子に座っていた宮崎は休憩も必要だと思い、上司の頼みを聞き入れた。その後、彼は上司から短い説明を受けるとすぐに駅へと向かった。
 腕時計で時間を確認する。上司の話しでは、その客人は5時40分には駅に到着するはずであったが、時刻は6時になろうとしている。
 “JRで事故があったとは聞いていない。駅を間違えたか?”
 その時、三両編成の電車がプラットホームに入ってきた。宮崎はこの電車に客人が乗っていることを祈った。電車が走り去ると、改札を抜ける人が一人いた。
 “あの人か?”
 座席から身を乗り出してその人物を確認すると、宮崎はため息をついて座席に戻った。改札から出てきた男は体に全く合っていないだぶだぶの服を着ており、右手に大きな紙袋を持っている。
 “買い物帰りのおっさんか…それにしても、客人は何をしているんだ?確か―”
 宮崎がプラットホームに視線を戻した時、紙袋を持った男が彼の方に歩いてきた。
 “俺はタクシーじゃないぞ。”
 男が車の横に来る前に宮崎は窓を下げて男の顔や服装を確認した。男の顔は服装と対照的に引き締まっており、髪も短く整えられている。顔も悪い方ではない。いい服を着て街を歩いていれば、振り返って彼を見る女性もいるだろう。男は濃紺のジャケットを羽織っており、その中に灰色のワイシャツを着ている。視線を下に移す。ベージュのスラックスと砂埃を被って薄汚れた黒いスニーカーが見えた。全ての服が彼の体に合っておらず、宮崎はサイズを一つ間違えて買ったのだろうと思った。歳は30代半ばほどに見える。
 「アンタが俺の迎えかな?」男が車の横に来ると尋ねた。
 「そのようです。どうぞ、乗ってください。」
 男は助手席の方に回って乗り込むと、紙袋を後部座席へ放り投げてシートベルトを着けた。それを確認した宮崎は車を走らせる。
 「後部座席にある鞄に資料が入っています。」男の方を見ずに真っ直ぐ前を見つめて宮崎が言った。
 何も言わずに助手席にいる男は体を少しよじって後部座席にある宮崎の鞄を取ると、ジッパーを開けてA4サイズの封筒を取り出した。
 「大まかな内容は知っているんですか?」
 「少しな。」男は鞄を後部座席に置くと封筒の中を確認した。書類挟みが5つ入っている。
 「念のために私の方から簡潔に説明しましょうか?」
 「いらないよ。」
 宮崎はこの男の態度が気に入らなかった。彼の問いかけに対して、男はいつも心ここにあらずといった様子である。
 “一応、名前だけでも伝えておこう。自己開示は相手の心を開かせる第一歩だ、と久美子も言っていたじゃないか。”
 「申し遅れましたが、私は宮崎優といいます。」宮崎は最近心理学にのめり込んでいる妻の助言に従って自己紹介をして、男の方に視線を移動させる。
 「ふ~ん」男は書類を見つめながら空返事を返した。
 男の態度に苛立ってきた宮崎であったが、それを表情に出さないように努力した。急にタバコが恋しくなった。苛々することがあった時、彼はよくタバコを吸っていた。しかし、宮崎は娘のためにタバコを止め、タバコが欲しくなると飴を舐めるようにしていた。飴のことを思い出した宮崎は上着の内ポケットから飴を取り出し、苛立ちを解消するためにそれを舐め始める。再び横目で男を見る。男はまだ書類に目を通している。次に宮崎は書類の方に目を向け、ページが全く進んでいないことに気が付いた。
 “この人、ちゃんと読んでいるのか?”
 「赤信号だぞ」助手席にいる男が言った。
 急いで前方を見ると赤信号が見え、宮崎は急ブレーキをかけた。車は横断歩道の真ん中で止まり、停車と同時に二人は慣性によって体が前のめりになった。
 「歩行者がいなくて良かったな」男が笑いながら言う。「最近の刑事の運転は乱暴だね~」
 男は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、宮崎にとってそれは嫌味にしか聞こえなかった。また、それを真に受けるほどの余裕が彼には無かった。もしかしたら、人を殺していたかもしれない、という思いが思考の大半を占めていた。
 「それはそうと、疑問に思うことがあるんだけども質問してもいいかな?」と男が言う。
 「何で…しょうか…?」宮崎が声を震わせながら尋ねた。
 「その前に運転を変わろう。そして、何か甘いもんでも飲んでリラックスした方がいいと思う。」



 男の私物を鞄の中に入れた西野がそれを新村に渡して部屋を出ると床の軋む音を耳にした。その音は一階から聞こえてきた。西野は背後にいた新村に部屋に留まるように手で制すると真向かいの部屋に入り、姿勢を低くして階段の手摺り越しに一階の様子を探る。人影は見えないが、足音が聞こえる。状況が呑み込めない新村は混乱していた。
 「何かあったんですか?」新村が小声で西野に尋ねる。
 「静かにしろ。鞄の中に特殊警棒があったはずだ。」
 新村は鞄の中に手を入れて目的の物を掴むとそれを西野に見せた。しかし、西野は一階の様子を伺っていて気付かなかった。
 「西野さーん」再び新村が西野に声を掛け、特殊警棒を上司に見せた。
 “静かにしろと言ったのに…”
 西野がそれを受けとろうと手を伸ばそうとした時、彼は階段に向かって歩いてくる男を見つけた。西野は新村に部屋に戻るように指示し、彼女はそれに従って部屋に戻る。男は消音器付きの拳銃を持っていた。男が階段を上り始める音が聞こえてきた。
 心臓が激しく動き出したが、西野はできるだけ冷静さを保つようにした。彼は人差し指と中指を目の前に置き、注意しろ、と部下に合図を送った。合図を受け取った新村の目は大きく開き、それは彼女が動揺していることを示していた。その兆候は彼女の手にも現れていた。震える彼女の手は特殊警棒をきつく握り締めている。
 “どうやらここは俺一人でやるしかないな…”
 西野は静かに立ち上がるとドアの後ろに回って男の足音に耳を澄まし、男があと二、三歩で2階にたどり着くだろうと予測した。一方の新村も西野に倣ってドアの後ろに隠れた。
その後、西野はワザと持っていたボールペンを床に落として注意を自分のいる部屋に向けた。侵入者は西野の予想通り彼のいる部屋の方に来た。ドアと壁の隙間から男の姿を確認した西野はドアノブに左手を添え、いつでもドアを閉められる態勢を整えた。
 男が部屋に入ろうとした時、新村がいる部屋から物音がした。新村は緊張のあまり警棒を落としてしまった。侵入者の注意は新村の方に向けられ、銃口もそちらに向けられた。
 無精髭を生やした中年男が新村のいる部屋に近づこうとした途端、彼の左膝裏に衝撃が訪れた。彼はその一撃によって床に崩れ落ち、その弾みで発砲して壁に小さな穴を開けた。消音器によって発砲音は軽減されたが、室内に唾を吐くような発砲音と遊底が後退する金属の擦れる音が響く。
 膝裏への一撃を決めた西野は男が自分に銃口を向ける前に男の頭を掴んで壁に叩きつけた。侵入者は気を失って横に倒れ、西野は男の持っていた銃を取ろうと身を屈めた。すると、再び唾を吐くような音と金属が擦れる音が室内に響き、西野の真上にあった電球が割れて破片が彼の背中に落ちた。西野が階段の方に目を向けると銃を構えたスキンヘッドの男がいた。男が再び引き金を引く前に西野は新村がいる部屋に頭から飛び込んだ。
 西野の姿を見た新村は上司を侵入者と勘違いして悲鳴を上げた。
 “相当、参っているな…”
 新村はしゃがみ込んで震えている。部下に静かにするよう西野は人差し指を鼻の前に置くと耳を澄まして敵の様子を探った。彼がスキンヘッドの男を見た時、男は階段の一番下にいた。敵との距離はおよそ3メートル強。西野は右腰のホルスターに収められている拳銃を使いたかったが、消音器を持っていないので使用を控えていた。もし、住宅街で発砲すれば騒ぎが起こるであろうし、それに室内で消音器無しで発砲すれば鼓膜が破れる恐れがある。
 階段を駆け上がる音が聞こえてきた。西野は静かにドアの横に張り付き、再び男の様子を探る。間断なく唾を吐くような銃声が聞こえ、西野の真横にあった壁に複数の穴が開いた。それを見た西野は急いでその場に伏せて壁から離れる。壁を見ると先程まで西野がいた場所に穴が開いている。西野の心拍数は異常な程に上がっていた。銃弾は壁に複数の穴を開け、それは新村の方にまで及んだ。銃弾が彼女の頭上を通り過ぎると、彼女は悲鳴を上げて泣き始めた。新村の叫び声を聞いたスキンヘッドの男はドアに向けて発砲し始める。
 “クソッタレめ!”
 西野は使うつもりのなかった銃を取り出し、男がいると思われる方向へ発砲しながらドアの方へ走った。鼓膜は破れなかったが、耳の中でキーンという音が鳴っている。ドアまで残り二歩という所で銃の弾が切れ、さらに階段を駆け上がってきたスキンヘッドの男が目の前に現れた。男までの距離は約1メートル。西野は男が銃を構える前に自分の銃を男に投げつけ、男がそれを左腕で防いだ。その間に侵入者との距離を縮めた西野は、男の銃を左手で掴むと右拳で男の顔を殴る。それと同時に捜査官は掴んだ銃を反時計回りに回し、男の手から銃をもぎ取ると床に放り投げて右拳をもう一度繰り出した。
 男は体を左に動かしてそれを回避しながら、西野の左肩と腕を掴んで手前に引き寄せると左膝蹴りを彼の腹部に入れた。西野は呻き声を上げて痛みに堪えると歯を食いしばって上体を素早く起こし、彼の背中に肘を打ち込もうとした男の顎に頭突きを食らわせた。追撃を警戒した男は背後にあった部屋に入って西野の様子を伺う。西野は両手を目の高さまで上げ、男との距離を縮める。
 侵入者が先に動く。男が左拳を突き出し、西野は右手でそれを払いながら男の横に移動して脇腹に拳を叩き込む。スキンヘッドの男は左肘で西野の顔面を殴ろうとしたが、西野はそれを右手で防ぐ。それを確認するや否や男は右拳で西野の腹部を殴った。男のこの一撃は強く、追撃を恐れた西野は少し離れて右拳を男の胸目掛けて突き出す。侵入者は上体を少し後退させて回避すると西野の右手首を掴んで反時計回りに勢い良く捻り、西野は反射的に痛みから逃げようと男に背を見せた。男が捜査官の腕を折るために西野の肘へ圧力を加えようとした時、西野がスキンヘッドの男の右膝側面を蹴り飛ばした。運が良ければ西野は男の脚を折ることができたかもしれないが、腕を固定されていたために勢い良く蹴ることができなかった。それでも、この攻撃はそれなりの効果を生んだ。
 膝への攻撃によって西野の手首にかけられていた力が緩んだ。素早く西野は男の手から右腕を取り戻し、間を開けずに右拳を水平に振りながら振り向く。だが、男は身を屈めてそれを回避する。西野が腕を完全に振り切った瞬間、男は西野の両肩を掴んで手前に引き寄せると右膝を捜査官の腹部に叩き込んだ。あまりの威力に西野は前のめりになって腹部を守ろうとしたが、その前に男が二度目の蹴りを入れる。今度の蹴りで西野は呼吸困難に陥った。侵入者は構わずに三度目の蹴りを繰り出し、男は蹴りが入る瞬間に肩を抑えていた手を離した。呼吸困難に陥り、体勢を上手く立て直せなかった西野はベッドの上に倒れた。男は勝負が着いたと思い、ゆっくり西野に近づく。
 少量ではあるものの酸素が肺に流れ込んできた。その量が少しずつ増えると、西野は腹部を守るように両膝を上げる。男は最後の足掻きだと思い、口元を緩めて拳を振り上げた。西野の肺に十分な酸素が入ってきた。西野は精一杯の力を込めて男の胸を蹴り飛ばし、突然の攻撃によって男はバランスを崩した。体勢を立て直そうとしたが、その前に男はクローゼットに激突して尻餅をついてしまった。クローゼットの扉が壊れ、中に押し込まれていた衣類が出てきた。男はその中から青いネクタイを見つけると、それを拾い上げて立ち上がった。西野もベッドから起き上がり、左手で腹部を抑えながら男の様子を伺う。
 “まだやるのか?”
 西野はできることならこの場から逃げ出したかった。目の前にいる男は確実に自分よりも強い。
 “今の俺にできることはこんなもんだろう。”
 「新村―!逃げろー!!」
 そう叫ぶと西野は男に殴りかかった。
 “できるだけ時間を稼ぐしかない…”
 スキンヘッドの男は西野の攻撃を軽々と防ぎ、両手で西野の左肩を掴むと再び捜査官の腹部を膝で蹴り飛ばした。この一撃によって西野の戦意は完全に削がれた。男は腹部を抱えて崩れ落ちようとする捜査官の背後に回ると、クローゼットから手に入れたネクタイを西野の首に巻きつけて西野の左膝裏を蹴り飛ばす。捜査官は床に片膝を突き、その際にネクタイが彼の首をきつく締め始める。侵入者は西野の左脚を踏みつけながらネクタイを後ろへ引っ張った。どうにかして逃げようと西野は首を掻きむしるが、首にかかる圧力は増え続けている。西野の視界に靄がかかり、体の自由が効かなくなってきた。視界が靄に包まれた時に音を聞いた。その音は遥か遠くで鳴っているように小さい。
 突然、西野の首にかかっていた力が抜けて肺に大量の空気が流れてきた。彼はむせながら床に崩れ落ちた。次第に視界の靄が消え、先程聞いた音の正体が分かった。銃声。その音はまだ止んでいない。西野は酸素が足りないために上手く動けない。
 “応援か?”
 銃声が鳴り止み、引き金を引くカチッ、カチッという音が聞こえてきた。音の方を見ると泣いて目が腫れ、鼻水を垂らしている新村がいた。彼女の手には銃が握られている。床に手を付きながら立ち上がって振り返ると、西野は血の海に倒れているスキンヘッドの男を見つけた。男は肩と腹部に大量の銃弾を受けていた。
 “かなり撃ったな…”西野はクローゼットに片手をついてバランスをとりながら、首に巻きついていたネクタイをむしり取った。
 「だ、だ、だい、だいじょう、ぶですか?」緊張のせいか新村の言葉に落ち着きがなかった。
 「本部に戻るぞ…」
 しかし、西野と新村の耳の中ではキーンという音がなっているためにお互いが何を言っているのか分からなかった。西野は自分の銃を取ると一階に向い、下にいた男の様子を見に行った。しかし、銀行で遭遇した男は頭を撃ち抜かれて既に死亡していた。
 “気を失っているのが2階にいる。アイツから情報を…”
 微かに外からサイレンのような音が聞こえてきた。
 “銃声を聞いた住民が通報したのか?”
 西野は新村の手を掴むと車庫に向かい、パトカーが来る前に隠れ家を後にした。



 日が沈んで出入りが少なくなった無人駅の駐車場に紺色の乗用車が入ってきた。駐車場には数台のバイクと自転車しかない。この近辺は街灯も少なく、夜になると暗くてほとんど何も見えない。乗用車が停車すると運転手は駐車場の薄緑色のフェンスに向い、助手席と後部座席にいた男たちは物音がするトランクに向かう。
 運転手は懐中電灯でフェンスの中間部分を照らし、フェンスに結び付けられている青いビニールテープを見つけた。黒のTシャツと水色のジーンズ姿の男はテープがある場所まで行くと足元を照らしながら足で砂利を退け、土が姿を見せると屈んで穴を掘り始めた。それは浅く埋められていたためにすぐに掘り出すことができた。男はビニールの袋に包まれた細長い箱を手に取ると、ビニールを剥いで中の箱を取り出した。ビニールを放り投げてプラスチック製の箱を開けると注射器と薬品の入った小瓶があった。
 “首に刺せと言っていたな…”運転手は中身を手に取って箱をビニールの近くに放り投げる。
 トランクの傍で待っている彼の仲間は、運転手に注目していたので周囲を警戒することをすっかり忘れていた。運転手は注射針を小瓶の蓋に指すと、ポンプを引いて注射器に薬品を入れる。
 「上手いな~」細身の男が言う。
 「あんなの子供でもできる」その隣にいた男が髪をいじりながら言った。
 「トランクを開けろ!」小瓶を上着のポケットに入れて運転手が仲間に言う。
 「お前だよ!」髪をいじっている長身の男が細身の男を小突く。
 「何でいつも俺なんだよ!お前もやれよ!」
 「さっきも言ったろ。俺は頭脳派なんだよ。」
 「どっちでもいいから開けろ!」運転手が怒鳴る。
 「わかったよ…」
 細身の男は渋々トランクを開けた。すると、彼は胸に小田菜月の蹴りを受けて危うく転びそうになった。
 「このクソ女!!」
 男が怒鳴りながら手足を縛られ、口をガムテープで塞がれた菜月に近づく。男の迫力に怯えた菜月は精一杯体を動かしながら呻き声を上げてトランクから逃げ出そうとした。しかし、無駄なことであった。男は菜月の顔を殴り、もう一度殴ろうと右拳を振り上げると注射器を持った運転手がそれを止めた。
 「やめろ!」運転手は細身の男の肩を突き飛ばす。「暴れないように抑えろ。お前も手伝え!」菜月の頭を押さえつけながら運転手が髪をいじっている男に言う。
 前髪をいじっていた男はため息をついて議員の娘の両肩を掴む。三人の男に押さえつけられた菜月に抵抗することなどできなかった。彼女は首筋に痛みを感じて呻き声を上げたが、数秒と経たない内に気を失った。それを確認した運転手はトランクを閉めると注射器と薬品を乗用車の中に放り込んだ。
 「俺たちの仕事は終わりだ。後は金をもらうだけだ…」運転手がポケットから予め用意しておいた切符を取り出して仲間に配る。
 「それにしても何であの人はここに来ないんだ?」細身の男が尋ねる。
 「バカだなぁ~お前は。あの人は用心深いのさ。ここは金受け渡しをするには目立つだろ?」前髪をいじりながら長身の男が言う。
 「なるほど…お前、やっぱり頭脳派だな!」
 三人は駅の改札を抜けるとプラットホームで電車を待った。中肉中背の運転手は携帯電話を取り出してメールを打った。
 『仕事が終わりました。約束の場所で待っています。』
 数十秒後にそこから4キロ離れた場所にいた男の携帯電話が震えた。男は三人からのメールを見ると、違う携帯電話を使って仲間に連絡する。
 「予定通り。荷物の回収を頼む。」
 男は電話を切って隣の部屋に向かう。そこには地図を覗き込んでいる女がいる。男に気付いた女は顔を上げた。
 「回収班を出しました」男が先に口を開いた。
 「もうすぐね…そろそろ小田に電話しましょう。」
 「しかし、もし向こうが娘を出せと言ったら…」
 「私たちは娘を持っている。もし、向こうが何か言ってきたら電話を切りなさい。とことん追い詰めるの。分かった?」
 「分かりました。それと武田はどうしますか?」
 「私の命を狙っているみたいだから、そろそろ消してもいいかもしれない。でも、もう少し様子を見てみましょう。彼には大仕事を依頼してしまったしね。」
 「分かりました。それでもこれから小田の事務所に…」
 「お願い。」
 女は男の話しを最後まで聞かずに話しを切り上げて視線を地図に戻した。



 狭い部屋に沢山の記者とカメラマンがいる。小田完治の事務所は7階建てのビルの4階にある。位置的には悪くなく、駅の付近でスタッフは通勤が便利だといつも言っている。記者会見はそのビルの5階で行われている。彼らがいる部屋は町内会の集まりなどで使われる部屋であるが、いい条件の場所が見つけられなかったために急遽同じビルの5階を使うことにした。
 小田完治は専門スタッフが作った文章を読み終えると記者たちの方を向く。記者たちが手を天井に届くほど伸ばして「議員!」と叫ぶ。さらにフラッシュが一斉に炊かれ、思わず小田は視線を下に移した。
 “どうしても、これには慣れないな…”
 「これより10分程ですが、質疑に移らせてい頂きたいと思います。挙手の上、私が指名いたしましたら、お名前と所属をおっしゃってください」小田の隣にいる40代半ばほどの男、飯田が言った。
 彼がそれを言う前から記者たちは挙手をしている。迷った挙句に飯田は近くにいた男性記者を指名した。その記者は街頭演説で見覚えがあり、当たり障りの無い質問をよくする。
 「朝陽新聞の吉村です。犯人からの連絡はあったのでしょうか?」
 この記者を指名して良かったと飯田は思った。記者によっては揚げ足を取るような質問をする。
 「いいえ、まだです。おそらくこれからだと思います」冷静な声で小田が答える。
 「犯人の目的もまだ分かっていないのですか?」
 「そちらもまだです。犯人の目的がどうであれ、私は娘を必ず取り戻します。」
 「ありがとうございます。」
 「それでは…」飯田は無数に上がる手を見て再び困ったが、奥の方に飯田好みの若い女性記者がいたので彼女を指名した。
 「あ~」彼女はまさか自分が指名されるとは思わっていなかった。「北海日報の…小村です。えっ~と、議員の今の心境を聞かせて頂けますか?」
 “ハズレだ!”飯田は心の中で悪態をついた。
 「心境?」小田はオウム返しに尋ねる。
 彼が言葉を探していると秘書の桐原がやってきて耳打ちをした。
 「誘拐犯だと名乗る男から連絡が来ています。」
 小田完治は椅子から立ち上がる前に記者に急用が入ったので、ここで質疑応答を終了すると言って部屋から去った。
 「事務所の電話に掛かってきました。」
 桐原がそう言うと、二人はSPに警護されながら早足で廊下を進み、階段を下ると刑事たちがいる部屋に急いだ。その部屋では既に刑事たちが逆探知の準備を終えていた。
 「こちらの電話を…」桐原が固定電話の受話器を小田に渡す。
 受話器を手に取って小田はゆっくりと耳に押し当て、「小田完治だ」と名乗った。
 「こんばんわ」受話口からくぐもった男の声が聞こえてきた。
 「お前が誘拐犯なのか?」
 「秘書からそう聞いているだろう?」
 「目的は何だ?もし、私に用があるなら…」
 「もちろん。俺たちはアンタに用がある。」
 「なら、娘を解放しろ!」
 「焦るなよ。人の話しは聞くものだ。聞く気が無いならここで終わりにしよう。」
 小田完治は逆探知作業中の刑事たちを見る。彼らの一人が「会話を引き伸ばして下さい」と書いたメモ帳を議員に見せた。
 「待て!目的は何だ?!」
 「目的はアンタの議員辞職と10億円の身代金だ。」
 この要求を聞いても小田は驚かなかった。
 “やはり金目当てか…それに議員辞職は後から考えたいい訳だろう…”
 「そんな大金は無理だ。」
 「アンタならできるだろう?6時間やる。それまでの間に用意しろ。」
 刑事たちが新しいメモ帳を小田に見せた。「あと10分引き伸ばして下さい」。
 “残念ながらできそうにない。”
 「用意できなければ?」と小田が尋ねる。
 「娘が死ぬだけさ…その後は息子、妻。でも、お前は殺さない。お前には十分苦しんでもらう。」
 「何故、私なんだ?」
 「自分の胸に聞いてみろ。きっと答えが見つかるはずだ。お前の罪は重いぞ…」
 「罪?何のことだ?」
 「よく考えるんだ。お前がしたことを…」
 小田は混乱したが、ふとある名前を思い出した。
 「君は優介君なのか?」
 「違う。が、近いかもしれない。逆探知のために頑張るのも良いが、その前にアンタは己の罪について考え直した方がいい。また電話する。」
 そこで電話が切れた。
 小田は刑事たちの方を見る。彼らは首を横に振り、逆探知が失敗したと告げた。
 「議員。」一人の刑事が小田に近づいてきた。「優介君とは誰ですか?」
 「死んだ友達の息子です。」
 「何か心当たりがあるんですか?」
 「関係があるかどうかわかりませんが、少し気になったもので…一応、あなた方に彼らについて調べてもらうようにお願いしたのですが…」
 「あぁ、あれですか…」
 「もし、何か分かったら知らせてもらえますか?」
 「もちろんです。」
 刑事との会話を終えた小田は家族が待つ部屋に向かった。



 呼び出し音が二回鳴るとカチっという音が聞こえて男が電話に出た。
 「日本交通―」
 「小野田か?西野だ」男の声を遮って西野が言った。
 「認証コードをお願いします」小野田は電話の相手が分かっていながらも、西野に彼の認証コードを尋ねた。
 「急いでいるんだ!早く黒田に繋げ!」
 「認証コードをお願いします」声を大にして小野田が言う。
 「22476だ。」
 それを聞いた小野田は既に表示させていた西野の認証コードを確認した。認証コードには2種類ある。一つは通常連絡用、もう一つは非常事態用である。後者はテロリストなどに拘束されている時に使われる。西野が使用したのは前者であった。
 「すみません、西野さん。規則なもので…」
 「早く黒田に繋いでくれ!」
 「すぐに繋ぎます。」
 ネズミ捕りの分析官は受話器を持ち上げると短縮ダイヤルを押す。受話口から呼び出し音が鳴るとすぐに黒田が出た。
 「どうした?」
 「西野さんからです。」
 「すぐに回せ。」
 小野田は電話回線を変え、黒田と西野が話せるようにした。その後、彼は作業に戻った。
 「何があった?」黒田が尋ねる。
 「襲撃された。」
 「何?!どこで?」
 「H24だ。」
 「ちゃんと尾行確認をしたのか?」
 「あぁ。したよ。」
 「本当か?」
 「俺を疑うのか?」
 「お前でもミスはするだろう?」
 「俺はちゃんと確認した。」
 「いいだろう。お前を信じよう」内心、黒田は西野を疑った。ベテランもミスは犯す。黒田は何度もそれを見てきた。
 「問題はH24に警察が入ったことだ。」
 「どうしてお前はこうも問題を大きくするんだ?」
 「やりたくてやっている訳じゃない。」
 「あそこに何がある?」
 「死体が二つ―」この時点で受話口から黒田のため息が聞こえてきた。気にせず西野は続ける。「それと気絶している中年男だ。」
 「そいつらが何者か分かっているのか?」
 「武田に繋がっていることは確かだと思う。」
 「推測だけでは無理だ。その件については私が何とかしよう。ところで、武田に関する情報は?」
 「ある。銀行で捕まえた男が守谷という男について喋った。」
 「何者だ?」
 「それをこれから調べるのさ。もうすぐそっちに着く。」
 「ダメだ。」
 黒田の言葉に西野は驚いた。
 「絶対に尾行を巻いた確証があるのか?」黒田は間を開けずに尋ねた。
 反射的に西野はルームミラーで後方を確認する。この時、西野は全く尾行確認をせずに本部に戻ろうとしていたことに気付いた。
 「ない…」
 西野は交差点に当たるとそこを左折し、本部から離れながら尾行を確認しようとした。
 「襲撃で動揺しているのは―」
 「俺は動揺などしてない!」
 “いや、そうではない。”西野は心の中で呟く。彼は先ほどの戦闘から動揺しており、安全な場所に行けば心が静まるだろうと考えていた。
 “黒田は俺を落ち着かせようとしているだけだ!”
 「なら、もう少し慎重になれ。いつものお前と様子が違うような気がしてな。」
 「分かっている…」西野は深呼吸して気持ちを落ち着けようと努めた。
 「守谷という男についてだが…」
 黒田が話題を変えた。
 「住所を手に入れた。そっちにも送る。」
 「分かった。応援に捜査官二人を送ろう。」
 「ありがとう。」
 「礼なんていうな。お前らしくもない。」
 二人は口元を緩めた。1年間共に働いてきて、慰め合うような会話をしたのはこれが初めてであった。
 「また、連絡する。」
 そう言って、西野は電話を切った。



 宮崎とだぶだぶの服を着た男はファミリーレストランで遅い夕食を済ませた。宮崎が時計を覗き込むと8時であった。
 「すみません。そろそろ署に行かないと…」宮崎が伝票を手に取る。
 「まだ、アイスクリームが来てないんだ。」
 「では、その後に行きましょう。」
 “娘と一緒にいる気分だ…”宮崎は窓越しに外の景色を眺めている男を見て思った。そう思っていると娘に会いたくなった。娘はドアを開けるとドタドタと足音を立てながら一目散に玄関まで走ってくる。誕生に買ってあげた熊のぬいぐるみを抱えて。
 ウェイトレスがバニラ・アイスクリームを持ってきた。男はスプーンを取ると美味しそうにアイスクリームを食べ始めた。
 “この人は何なんだろう?上司の弟か何か?少なくとも刑事には見えない。何かの専門家にも見えない。”
 「お前は頼まなかったか?」男が宮崎に尋ねた。
 「えぇ…もうお腹が一杯で…」
 「ふ~ん」
 「すみませんが、お名前をお聞きしてもいいですか?」
 宮崎は念のために男の名前を知っておいた方が良いと思った。
 「中島 一真。」男は名乗ると同時にアイスクリームを食べ終えた。
 「それで中島さん、車の中で質問があると言っていましたが…」
 「質問?そんなこと言ったか?」
 “この人は俺をバカにしているのか?”
 「確かに言いました。質問がある、と。」
 その時、宮崎の携帯電話が鳴った。ディスプレイには上司の名前が表示されている。
 「ちょっと失礼します。」
 宮崎は携帯電話を持って外に出た。
 「もしもし?」
 「宮崎か?客人にはもう会ったか?」
 「はい。これから署に向かいます。」
 「実はなぁ、事情が変わったんだ。署には来ないで欲しい。」
 「どうしてですか?」
 「道警本部からのお達しだ。」
 「では、これからどうすればいいんですか?」
 「適当にソイツと一緒に誘拐事件の捜査をしてくれ。また後で連絡する。」
 上司が一方的に話しを切り上げたため、宮崎は何も言うことができなかった。
 “今日は早く帰れると思ったのに…”
 宮崎は店に戻ると中島の所に戻って伝票を取る。
 「何かあったのか?」中島が尋ねる。
 「事情が変わったようです。これからあなたと行動することになりました。」
 「んじゃ、まず署に行くんだな?」
 「いえ、これから二人で誘拐事件の捜査を始めなければなりません。」
 「捜査本部があるのにか?」
 「おそらく、私たちは既に本部に編入されているんだと思います。」
 「曖昧だな~」
 「仕方ないじゃないですか!」宮崎が声を大にして言う。「上からの命令なので私には何もできないんです!」
 家に帰れないこと、そして、見知らぬ中島と名乗る男といることでストレスが溜まってきた宮崎は、知らぬ内に声を大きくしていた。
 「わかったよ。それじゃ、早速捜査を始めようじゃないか。」
 「とは言っても、どこから始めるんですか?」
 「お前は本当に刑事か?」
 「そうですけど…」
 「なら、事件が起こったら、君たちはどこに行く?」
 「現場です。」
 「ピーンポーン!」



 愛用している青いマグカップにコーヒーを注ぎ終わると、黒田はどのようにして警察に西野が言う気絶している男を引き渡してもらおうか考えていた。
 「アイツには悪いが、アイツに頼もう…」
 黒田は集中している時に独り言を言う癖がある。人前でもその癖が出るので、部下の中には彼の独り言が指示なのか、独り言なのか判断できないと文句を言うのもいる。
 「持つべきものは友だ。」
 彼が固定電話に手を伸ばした時に電話が鳴った。着信音からそれが内線だとすぐに分かる。彼は受話器を持ち上げず、スピーカーフォンのボタンを押して電話に出た。
 「どうした?」
 「警備の菊池です。」
 “またか…”
 菊池という男は野村が拘束されている部屋の警備を担当している。黒田は一時間ほど前に部下の奥村から野村に関することを聞いており、この件を西野に任せようと決めている。
 「野村の件か?」黒田は机の端に腰を下ろそうとしたが、机が散らかっていたので諦めた。
 「そうです。黒田さんに直接会って話したいことがあると言っているんです。」
 「内容を聞いたか?」
 「いいえ、黒田さんにしか話さないと言っています。」
 “クソ忙しい時に限って厄介事が増える。俺はこれから友人に電話しなければならないと言うのに…”
 「分かった。これから電話を一本入れなければならないから、その後にそっちに行く。」
 「分かりました。それでは、そのように野村さんに伝えておきます。」
 「頼む。」



 メモ用紙に書かれた住所に着くまで西野は新村を説得しなければならなかった。彼女は西野以上に取り乱していた。西野が本部に戻らずに守谷の交際相手の家に行くと言うと、新村は家に帰りたいと叫び出し、信号で止まる度に車から降りようとした。彼女の上司として西野はどうにかして彼女をなだめた。しかし、西野はもう新村は現場の捜査官には戻れないと思った。もしかすると、ネズミ捕りも辞めるだろうとも思った。
 目的地より500メートル離れた公園の駐車場で西野は黒田が送った応援の捜査官二人と合流した。一人は武田を追うために大型商業施設で共に活動していた広瀬 雄一という中年の男、もう一人は西野と同じ30代初めの若松 徹という小太りの男。
 西野と新村は車から降りると軽く同僚に挨拶した。
 「隠れ家が襲われるとは災難だったな」そう言って広瀬は西野と新村に無線を手渡した。
 「もう過ぎた話しだ」新村の様子を確認しながら西野が言う。
 「そうだな…」広瀬は西野の様子から話しを切り上げることにした。「それでどうする?」
 「新村と若松は車でアパート付近にあるスーパーで待機。俺と広瀬で部屋に行く」西野は無線機を上着のポケットに入れる。
 「それじゃ、菅井や加賀の二の舞になりやしないか?」と広瀬。
 「まだ、あいつらの状況が掴めていないのか?」西野は彼らのことを心配していた。
 「残念ながらな…ただ無事でいることを祈るばかりだ。」
 「あいつらなら大丈夫だろう。もう本部にいるかもしれない。」
 「そうだな。」
 そうは言いながらも、不安を完璧に取り除くことができなかった。
 「作戦を変えよう」西野は話しを作戦に戻す。そうすれば、少しでも不安が取り除けると思った。「新村と若松はアパートの向かいにあるコンビニ内で待機、俺と広瀬はアパートに乗り込む。住所を見る限り部屋は2階だ。」
 「何階建てのアパートだ?」若松が初めて口を開いた。
 「5階建てだ。アパートから出るには正面玄関を使うしか道がない。監視は簡単だろ?」
 「確かに。了解だ。」
 「くれぐれも慎重に頼む。それじゃ、各自配置に付いてくれ。」



 仕事が順調に進み始めたことに女は満足していた。部下から小田の娘を無事に回収したと連絡も来た。それに購入した装備も無事に届いた。彼女は計画を作り、それに沿って動けば問題がないことを知っている。多少の遅れが生じているが、それも計画に入れていたために問題ではない。
 電話が鳴った。ミニディスプレイに表示されている番号は武田が使っているものであった。
 “厄介者からか…”
 彼女はすぐに電話に出なかった。たまに反抗的な態度を見せる武田に対する処置であった。
 “反抗的な子供には躾をしなくちゃいけない。”
 着信音が5回鳴ると女は電話に出た。
 「もしもし?」武田の声が聞こえてきた。
 「どうしたのかしら?」
 「アンタの言っていた荷物が届いた。」
 「状態は?」
 「素晴らしい。今までこれほど綺麗な品は見たことがない。」
 「それは良かった。まだ時間があるけど、準備はしておいて。」
 「分かっている。」
 「あなたの部下は何人いるの?」
 「俺を除いて7人だ。」
 “小さな組織だとこと…”
 「ちょうどいいわ。少ない方が動きやすいでしょうし。」
 「あぁ。」
 「話しはそれだけかしら?」
 「そうだ。」
 「準備が整ったら教えてちょうだい。」
 「わか―」
 女は武田の言葉を聞かずに電話を切った。
 電話を一方的に切られた武田であったが、プラスチックの箱にぎっしり詰め込まれたMAC-10短機関銃を見ると女の態度について忘れた。今まで中国や北朝鮮から流れてきた武器を見てきた彼にとって、MAC-10は生まれて初めて手にする“正常に作動する”武器であった。
 武田がいる部屋の上で髪を後ろに束ねた青白い顔をした男が工具箱を開けた。彼の後ろには何度も殴れたために顔が酷く腫れ上がり、顔中血にまみれた菅井がいる。菅井は両手を鎖で縛られて天井から吊るされている。顔だけでなく、体も殴られたために痣があり、また皮膚が切れて出血している。
薄暗い部屋の中で男は鼻歌を歌いながらビニールのレインコートを羽織ると、工具箱から電動ドリルを取り出す。
 「調子はどうかな?」男が菅井に近づく。「結構しぶといんだって~?」
 菅井は血の混じった唾を男の顔に吐きかけた。男はそれをラテックスの手袋をはめた手でそれを拭うと笑顔を浮かべた。
 「武田の言った通り威勢のいい人だ。」
 男は首にぶら下げていたゴーグルを着け、電動ドリルの先端を武田の右肩に押し付けた。
 「痛いよ~これは。今の内に君たちのことを教えておいた方がいいよ~」
 捜査官は何も言わなかった。
 「残念だ…」
 ドリルが強く肩に押し付けられると、菅井は痛みに備えて身構えた。しかし、ドリルは動かずに左脚の付け根に激痛が走った。彼は叫び声を上げたが、必死にそれを押し止めようと歯を食縛る。
 男は菅井の左脚をナイフで刺し、菅井の意識が肩から脚に移動したことを確認すると電動ドリルの引き金を絞る。ドリルは菅井の肩を貫通し、その際に血が周囲に飛び散った。必死に堪えていた菅井であったが、耐えることができずに悲鳴を上げた。
 血を見た男の耳に菅井の耳朶を震わせるような悲鳴は届いていなかった。男は捜査官の左脚の付け根に刺さったナイフを抜き取り、反対側の脚を刺した。ナイフが皮膚を突き破る感触が男の欲求を満たし、男の顔に自然と笑みが浮かぶ。また、菅井が失禁したことを知ると男は満面の笑みを浮かべた。彼は電動ドリルで菅井の反対側の肩に穴を開けた。ふと我に帰った男は一歩下がって菅井を見た。
 「頼むから…やめてくれ…」すすり泣きながら菅井が言う。
 「君は公安なの?」男は菅井の右脚の付け根に刺さっているナイフを抜いて尋ねた。
 「違う…」
 「じゃ、何?」
 「対テロ機関の捜査官だ。」
 青白い顔をした男は電動ドリルを机に投げ、工具箱からハンマーを取り出すると菅井の脇腹を殴った。骨が折れる鈍い音と菅井の耳を覆いたくなるような悲鳴が室内に響いた。
 「本当だ!嘘じゃない!!」菅井は悲鳴を上げた後に急いで男を納得させようと叫んだ。「表向きは法人だが…活動内容は…日本国内のテロリストを拘束することだ。」
 「信じよう。次に君たちはどれくらい僕たちのことを知っているの?」
 「俺の仕事は銀行の裏口を見張ることだけで何もしらない。」
 男がハンマーを振り上げた。
 「本当だ!信じてくれ!!全く知らないんだ!!」
 菅井の反応を見て男はクスクス笑った。
 “何でこんなにも命乞いする人間が滑稽に見えるんだろう?”
 「そうだ!忘れていたよ…」男はジーンズのポケットから写真を取り出して菅井に見せた。「奥さん、綺麗だね~。子供もいい。」
 「か、家族には手を出さないでくれ!」
 男はハンマーで菅井の腹部を再び殴った。骨折した箇所を殴れたために菅井は痛みに堪えることができなかった。悲鳴を上げても痛みは続く。鼻息が荒くなり、食いしばった歯の隙間から空気が漏れる。
 「勝手に喋るなよ。僕の話しを最後まで聞いてくれよ。君の組織の名前と場所を教えてくれるかな?」
 「約束してくれ。家族には―」
 「聞き飽きたよ~早く僕の問いに答えてくれ!」
 「俺の財布の中に日本交通保安協会という法人の名刺がある。それが俺の所属している組織だ。表向きは法人だが、中身は政府の機関だ。」
 「なるほど…君らの組織もネットワークがあるはずだ。パスワードを教えてくれないか?」
 「アクセスキーは34986、パスワードは8595だ。これを使えば大半の情報にアクセスできる。」
 男は菅井から得た情報を記憶しながら菅井の背後に回る。
 「頼むから家族にだけは―」
 「安心しろ」男が菅井の耳元で囁いた。「お前の家族は俺が、ちゃ~んと可愛がってあげるから…」そう言い終えると、青白い顔の男はナイフで菅井の喉を切り裂いた。

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匿名

これ、俺の小説とそっくり。
パクリですか?
削除して欲しい。
by 匿名 (2012-11-04 11:40) 

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